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先週、新幹線に乗った。前に乗ったのは、2019年の9月だから5年ぶり。この時は、伊豆の競輪選手養成所の見学に行ったのだった。初めての本を出してすぐで、その勢いで競輪界のフィールドワークを続けよう、という意欲が出て自腹を切った。収入と支出、ほぼとんとんで暮らしているから、余計な支出はイコール赤字となる。生活費を切り崩しての旅費捻出だった。養成所はアクセスが悪く、18きっぷで行くには無理があるため仕方がなかった。この時の見聞はまだ形に出来ていない。コロナがなければ、もっと活発に競輪関係の聞き取りをしにいこうと思っていたのだけど、何となくくじかれてしまい、私生活もいろいろ行き詰っていて今日に至る。いつかnoteにでも何かは書こう。

この後は、もう死ぬまで新幹線を使う機会はないかもな、と悲観的な気持ちになっていった。東京往復新幹線の正規料金は3万弱、自費では無理。どうしても行くとなったら18きっぷか高速バスになる。普通に仕事をしていたらそんなことはないだろうが、非正規の不安定労働者にとって新幹線は贅沢過ぎる乗り物だ。

子どもの頃は、自分がこんな大人になるとは思いもしなかった。高卒で中小企業のサラリーマンだった父は、出張でしょっちゅう新幹線に乗っていた。大人はそういうもんだと思っていた。私が生まれて初めてやったアルバイトは、新幹線の販売員だった。大学一年の夏休みに一か月間、毎日のように新幹線に乗っていた。大学卒業後は、乗る機会はぐっと減ったが、30代前半は、新大阪駅に歩いて行ける距離のアパートに暮らしていたから、遠方からくる知人と新大阪近くで飲んだりすることもあり、新幹線に対してそれなりに近しい感じは続いていた。自分で乗る機会も少しはあった。旅費の出る共同研究に参加したりもして。そういうつながりが減り、貧乏人生がほぼ確定した40代以降は、乗るたびに、これが最後かもしれないという気持ちが湧くようになった。繰り返すが、ここ5年は、もしかしたらもう一生乗れないのかもと思う日々だったから、今回の新幹線は感慨深いものであった。

とはいえ、多くの人にとって何でもない身近な乗り物を過剰に有難がるのは惨めすぎる。できるだけあっさりした気分で乗ろうと思った。行きは「ぷらっとこだま」を利用した。のぞみで2時間半のところ4時間かかるが、高速バスに比べたら十分超特急だ。

列車全体の乗車率はそれほどでないはずだが、「ぷらっと」利用者エリアはぎっしり詰まっていた。3列の窓側の席だった。新大阪から乗っていたとなりの席の兄さんは出発してすぐテーブルを下ろし、ハイボールの缶を飲みだし、京都から乗ってきた通路側の同年配かちょっと上とお見受けするお姉さんは、着席するやいなやテーブルに缶ビールとスゴクカタイアイスをセットして新幹線満喫モードだった。朝の8時台出発なのに、いきなりこんな感じか。やはり、ぷらっとこだまは、ふだん新幹線の正規料金は気楽には払えない「新幹線境界人」が利用するのだろうか、新幹線を楽しもうという意欲満々だ。自分もまさにそれだが、出発前ちょっと忙しくしており、遠征の準備ができていなかったので、車中でいろいろ考えなければいけないことが残っていた。朝から飲んでご機嫌というわけにいかなかったのだ。到着してすぐ人に会う予定だったし。

近年、午前中の私はかなりな頻尿だ。直前にトイレに行って乗車したが、京都あたりでまた行きたくなってきた。しかし、横の二人にすんまへん、と言うのが気が引けてじっと我慢していた。名古屋を区切りと考えて、そこまで耐えて、ようやくすんまへんと言ってトイレに向かった。その後も、うっすらまたトイレに行きたい気持ちが続いて、久しぶりの新幹線での時間は膀胱に意識が持っていかれたまま過ぎていった。富士山がキレイに見えていたが、反対側のため見づらかった。横が空いていたら、デッキまで出て絶景を堪能したはず。トイレならともかく、富士山を見たいから通してくれ、というのも恥ずかしくて我慢した。我慢の新幹線。通路側のスゴクカタイアイスのお姉さんは、タブレットを手にデッキまで写真を撮りに行っていた。あのお姉さん、ビール、アイス、富士山と新幹線の楽しみコンプリートだ。やはり二人席の窓側がベストだろうが、自分が予約した数日前には全部埋まっていた。仕方がない。

帰りは、夕方に東京を出るのぞみで帰ってきた。出張慣れした人みたいな顔をして普通に乗っていた。今回、新幹線に乗れたのは、親切な紳士が公費の共同研究に混ぜてくれて、調査出張計画を受け入れてくれたからだ。有難い話だ。往復新幹線自由席分支給される、ということだったので、ぷらっとこだまはちょっと浮かして食費なんかにあてよう、というセコイ選択だった。(11000円だったので3000円弱は安くなる。)帰りは、時間的余裕もあったから、夜行バスに乗ってさらに浮かせようというのもよぎったが、とても疲れていて楽な方に流れた。3列の寝やすいバスなら、9000円くらいはするから、しんどさの割に浮く額は少ないし。でも頑張れば良かったかな、と今は思う。4列の超格安バスで8時間耐える自信はないからそれは考えなかった。

新宿思い出横丁のチケット屋で1000円弱安いチケットを買う。東京駅はめちゃくちゃ混んでいた。皆、普通に新幹線に乗っているのだ。こっちはこっちの世界があり、自分が下の階級で生きているということをしみじみ実感する。まぁ組織の正式な一員になれていない、ということだ。空港はさらに縁遠く、行けばもっと疎外感を抱くだろう。ただ、夜行バス乗り場に行けば、ここはここで混雑していて、18きっぷのシーズンの大阪・東京間の在来線普通にもかなり乗っている人がいるから、同志もたくさんいるのだ。革命は起こせない、連帯感の持てない同志たちだが。

というわけで、帰りは疲れていてぼんやり車窓を眺めるだけだった。電光掲示板のニュースや宣伝もぼんやり眺める。前に乗った時は何が流れていたかな、と思ったりしながら。自由席の二人席でずっと横は空いていてラッキーだったが、名古屋でどっとサラリーマンが乗ってきて埋まった。名古屋から新大阪なんて近い距離なのにこれだけの人が新幹線に乗るんだな。自分ならありえないが、仕事なら当たり前なのだろう。

次の新幹線は、何年後だろう。どんどん間が伸びているから、このパターンなら7~8年後か。そうなると自分も還暦を過ぎている。これから人生のどういう展開が待っているか分からないが、想定外のことは病気など活動量が減る方向のものだけだろうから、意外と頻繁に乗ることになったな、なんてことはほぼないはず。そうなると、あとそれなりに乗ったとしても数回程度だろう。もうすでに、色んな「人生最後」を経験済みのはずだから、新幹線のそれが今回だったとしても仕方ないが、気楽にトイレに行ける状態でもう一回は乗りたい。長い時間楽しみたいから、こだまで十分です。

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