見出し画像

若人よ覚えておきなさい、忘れるということを、の巻

すでに書いたように、先日、久しぶりにフィールドワーク的な遠征に行ってきた。テーマは(広い意味の)五輪(自転車競技)遺産を見て回るというもので、具体的な内容についてはいずれ。

初日は、さいたま市の大宮競輪場の見学で、拙著を読んだと連絡をくれたただ一人の競輪選手である白岩大助さん(選手会埼玉支部長)に案内していただいた。ひとりで訪ねるつもりだったのだが大学生S君が同行することになった。彼は、いろいろお世話になっているY先生のところのゼミ生で、競輪をテーマに卒論を書いたという。Y先生から「よどがわ君の本を読んだから会いたい言うてるんやけど時間ある?」という連絡が来て会食したのがひと月ほど前。競輪好きが高じて、この春から競輪予想紙の会社に就職するのだという。すごい。勤務地は埼玉近郊。ということで、今度大宮行くけどという話をしたら、それならぜひ一緒に、ということになった。

2月末の時点ではまだ大学生なのだが、早く現場に出たいから、と大阪から関東への引越しもすましバイトとして出勤もしているそう。うーん、そんなに働き急がんでも、大学生活最後の春休み、旅行するなり本読みまくるなりしたらいいのに、と思わんでもないが、生き方は、人それぞれである。彼とは親子以上に歳も離れている。できるだけ、説教的なことはしないようにしなければいけない。オッサンはすぐあれこれアドバイスだとか何だとか口を出したくなってしまいがち。できるだけそういうことは言わないようにしよう、と心に決めて現場へ向かった。

入り口で迎えてくれた白岩さんに事情と共にS君を紹介する。これから仕事上で関わりもできていくだろう。ということで、一緒に大宮競輪場の中をいろいろ見せていただく。その時の見聞も後日。見学の後、事務所で選手会支部長としてのお話をうかがった。その後、選手行きつけのご飯屋さんにつれて行ってもらい、ごちそうまでしてもらう。事前に「どういうものがお好きですか」と聞かれたので、できるだけ庶民的なところでお願いします、とお伝えしたら、じゃぁ練習後選手がよくいくお店があるんですが、そんなところでいいですか、ということでここになった。競輪場からすぐ近く。競輪カレンダーなどがいっぱい貼ってあり、いかにも選手たちなじみの店という感じ。こういう所は絶対自力ではたどりつけないから、本当にうれしく有難かった。白岩さん、本当にありがとうございました。

白岩さんは車なのでノンアル。どうぞ遠慮なく飲んでくださいと言われ、あ、そうですか何か悪いですね、といいつつ瓶ビールを頼むあつかましいおっさんなのであった。で、さらに楽しい気分にもなり、そんな中、S君に余計なアドバイスをしてしまったのだった。

君なんか若いからね、今こうやってね、白岩選手に連れてきてもらって、私と一緒に、ご飯食べてるこの特別な経験をね、いつか忘れるなんて考えられへんでしょ。ね?でも、恐ろしいことに年取ったら、ほんとに驚くくらい色んな事忘れてしまうのよ。だから何かの形で記録しておいた方がいいよ。君がこれからずっと予想の仕事するのか、将来は何か書いたりしたいと思ってるのか知らないけどね、いついつ誰とどこでどうした、どんな話をした、とか、メモに取って残しておいたらね、何かの役に立つかもしれないからね。

みたいな、ことを、偉そうに。はぁ、なるほどと素直にうなずくS君だった。

「若い人に言いたい」は、若い頃の自分に向けて言う後悔の言葉である。競輪の世界を見せてもらいに動き始めたのは20代中ごろからで、今思うといろいろ貴重な経験をしたのだが、バカだった私は、ちゃんとしたフィールドノートをつけていなかった。フィルムカメラの時代だったから写真もあまり残していない。もちろん、そこで得たことは自分の競輪理解のベースになったし、修士論文を書いたり、その後の拙著にもつながったので無駄ではなかったのだが、その時々に、もっと意識して記録を残しておけば、後から資料として再活用できたんじゃないか、ということを悔やんでいるのだ。

例えば、私は今から30年前の1994年8月に競輪学校を3日間見学している。印象深かったいくつかの出来事は覚えているが、細部はほとんど思い出せない。その頃から、西宮競輪の裏方だった方によくしてもらうようになり、バックヤードの見学もさせてもらった。これも断片的な記憶しかない。あとは、松本整選手のふるさとダービーV4記念パーティにも日刊スポーツの記者さんにつれて行ってもらった。貴重な体験なのに、村上義弘選手が楽しそうに飲んでたな、くらいしか覚えていることがないのだ。京都だったと思うが会場の場所すらあいまい。帰りの阪急(たぶん)で、一緒に参加していた関西棋院の林さんという囲碁棋士と話をした、のは何となく記憶にある。妙なことは覚えていたりするのだが、主目的に関することが消えていたりする。今、これが書けるのは、単著に取り組んでいた時に、過去の日記や手帳をたどって「自分のフィールドワーク年表」を一応作ったからなのだが、手帳にはほんとにひと言しかメモしていないのだ。一方で、何でもない日の日記は結構書いてたりするんだから、嫌になる。書きたい時に気分に任せて書く日記と比べ、調査的意味を持つ体験について記録として書き残さないといけない、と考えて書くものは精神的な負荷がかなり違う。どう書いたらいいのか、やっぱり、正しいフィールドノートの書き方を勉強してからにすべきか、とか、なんとか余計なことを考えたりしてしまって、簡単に言うと、面倒だから逃げていたのだ。無手勝流でなんでもいいから見たこと聞いたことを後から読んで分かるように書いておけばよかったのだ。ほんとにダメな子。

といいつつ、今もあまり実践できてはいないのが情けない。一応、ノートに聞いたことや考えたことを書き出して簡単に整理しておくようにはしているが、今回の分もまだちゃんとメモできてなかったりする。歳をとって体力的に疲れやすくもなり、帰って来てダメージ回復までさらに時間もかかり…。

今さら「将来の自分」に残しても、もう意味がないかもしれないが、そういう意欲がゼロになったら、死んでるのと同じ(かもしれない、違うかもしれない、分からないが)うっすらとでも「先」に期待をかけてこそ、生きてられるってものであろう。とにかく、昔はなかったこういうブログのような発表手段もあるんだから、見て聞いたことは、何らかの形で残しておこうと思ってはいます。

翌日、S君からラインが来た。白岩さんがお話していた内容の確認だった。素直にアドバイスに従ってくれているようで、なんか、すみません。

※競輪ファンの皆さんへ。これから、競輪界を盛り上げるのに貢献してくれると思いますので、AケイのS記者に期待してあげてください。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?