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音楽の話をしようよ#4 ミツメ 『ghosts』━━━━━"そこにいた"ということが確かにずっと続くこと


2019年の春、何もかも失った気分だった。丁寧に積み上げてきたはずのジェンガが実は幻で、とっくの昔に崩れていたことを知ったような。そんな周回遅れの虚しさの中で絶望を感じていた。暖かな陽気の中、春の街は心地よい風を運び、なぜか知らないが期待感を感じる空気に包まれる。何かいいことがありそうな、「予感」の季節だ。その空気の軽さの中でさえ一人虚しさに打ちひしがれていた。

当時僕にとって大きなものを失った。それは確かに「誰か」であって「時間」や「言葉」、「感情」すべてだったように思う。どうしたらいいのかが分からなかった。一人になった部屋を眺めて、消えていくもののことを考えた。一人で食べるご飯は一人の味がした、一人で見るテレビは一人の笑い声に変わり、一人で眺める天井は一人分の影だけを写した。一人で部屋にぶら下がるカーテンすら一人の色をしていた、一人で過ごす季節は風を感じなかった。

ミツメの"エスパー"という曲を初めて聴いた時に、初めて今の自分と似た体温を感じる曲に出会ったと思った。この曲の虚しさを自分は知ってると、そう感じた。

"エスパー"は2019年の春にリリースされたミツメのアルバム『ghosts』に収録された楽曲。ボーカルの川辺素が書くミツメの歌詞というのは、いつも掴みどころがなくて雲のようで、水のようで、空気のよう。知らない景色なのに、まるで自分の心を知っているように見透かしてくるのだ。フワフワ漂っては付かず離れずそこにいる。

時には君を 知り過ぎたつもりなのに
瞳の奥に 何もかも分からなくて
ミツメ『エスパー』

知らないから知りたいと誰かのことを思い続けても、いつの間にかに分からなくなってしまう。人はすれ違ったり歩み寄ったりしながらお互いを知っていく。そしてお互いを知ること、知られること。知ってしまうこと、知らなければ良かったこと。人はその連続の狭間に立って暮らしている。エスパーなんてものがあって心の中身まで分かってしまえば楽なのにねと思うこともあるけど、エスパーなんてきっとなくていい。知らなければ聞けばいい、分からなければ信じたらいい。そう思えるような人といたらいい。今ではそう思える。

止まらない砂を かき集めるような
季節をいくつも 通り過ぎて
ミツメ『エスパー』

止まらない砂をかき集めるような途方のなさ、どうしようもなくても日々を前に進めていく虚しさを感じるこの歌詞が好きだ。きっと気づけば必死に砂をかき集めている。不安定で顔が今にも少し泣き出しそうな表情をしているのがミツメの楽曲だ。真夜中に誰かと話したくなる気分ともよく似ている。

ミツメの楽曲はどれも必ずしも恋愛のことを歌っているわけではないと思う。それでも人の心情や聴き方によって様々な解釈ができる楽曲は強い、というのが昔からのJ-popの定説だ。この"なめらかな日々"も恋人ではなくバンドメンバーや友達のことを歌っていると想定して聴いてもすんなり入ってくる。その隙間感こそがミツメの真骨頂だと思う。フワフワと漂うような演奏と不安定でエモーションとは距離を置いたボーカルがより楽曲の無色透明加減を表していく。

なめらかな日々 取り戻して
悪いことは無い けれどどこか
あなたがいない それ以上のなにか
ミツメ『なめらかな日々』

シンプルで過剰な味付けや感動の共有もない歌詞なのに、なぜかふとした時に心にグッときては涙をさそってくる。日々を共にした誰かと別れた後の何とも言い難い心情を"あなたがいない それ以上のなにか"と表現するのは本当に曖昧なのにそれでしかないような気分にさせてくれる。それはミツメの楽曲にハッキリと隙間があるからなのだと思う。演奏の隙間、歌の隙間、歌詞の隙間、あらゆるところに聴いている人のそれぞれの記憶が入り込み、季節の風を運んでくる。街の陰影、空の色の移ろい、そういった身の回りのものがその曖昧な隙間を補完していく。それは音楽が生活と溶け合ってる証拠だ。きっと誰にでもそんな作品や歌があることだろう。生活に溶け合って、誰にも教えたくない歌があると思う。そういう人生ってきっといい。音楽が人生に寄り添って、人生が音楽に寄り添っていく。大切にしたいよね。

『ghosts』と名のついたこのアルバムは、確かにそこにいた"何か"について歌っている。それは「誰か」かもしれない、何かの「気持ち」や「言葉」かもしれない。アートワークには何かが写っているかのようで誰もいない芝生が映っている。それはこれまでここに誰かがいたのか、そして今もなおそこにいるのか。その目に見えないものを形にしたのがこの『ghosts』というアルバムだと思う。

きっとこの世界は目に見えないものの方がずっと多い。どうしてかそれをいつも忘れてしまう。目に見えないものを今日も信じていられるか自分に試していこう。目に見えないということはずっとそこにいるということ、いないということはそこにいたということがずっと続くということ。

風の匂いや葉の色の移ろいにもう会うことのない誰かのことを思い出そう。



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