モテるのに飽きて、才能が欲しくなった人のための、天才になるオナ禁術

タイトルにあるようにこのブログは、すでにオナ禁を達成してモテている人のためのブログです。

 つまり、オナ禁によって、体中に活力と自信が溢れ、コミュ力があって誰とも楽しく話せて、仕事もバリバリとこなして周りに認められ、女性にモテてしょうがない人がさらに一歩上に行くためのブログです。

 オナニー中毒者がオナニー依存から脱して、モテるようになるためのオナ禁ブログとは全く違うものなので、オナニー中毒者はまずは巷に溢れているオナ禁ブログでも読んでください。もしくは後日追加する私の「モテるためのオナ禁術」を参考に、まずはオナニー中毒から脱していただきたい。
 オナ禁を最低でも数か月、ないし、半年くらいは継続して、自分の中に精力を循環させられるようになってからこのブログを読んでももらえると効果的です。


 さて、このブログの対象になるオナ禁達成者に問いたい。今の現状はいかがでしょうか?

 オナ禁によって、体力、自信、コミュ力、集中力、直感、思いやりを手に入れ、仕事や筋トレに精力的に取り組み、女性をはじめ多くの人に認められて好かれ、充実した生活を送る。

 それだけで満足ですか?

 たしかに悪くない人生でしょう。いわゆる勝ち組の人生ではあると思います。私はこういった人生を否定するつもりは全くないです。ただ、みなさんがオナニー中毒者を見て、オナニーを辞めればもっと人生が楽しくなるのになぁと心の底で思うように、私も充実した生活を送られているみなさんを見て、もっと素晴らしい生き方があるのになぁと傲慢ながら思ってしまうのです。

 このブログを書こうと思った理由の一つに、世に溢れるオナ禁達成者たちのブログを拝見しても(なかには興味深いものも数点ありましたが)、その内容のほとんどはオナニー中毒者がその依存症から抜け出す方法と過程しか書かれていません。
 もちろん、オナニー中毒者=劣等者(いわゆる負け組、弱者)がオナ禁達成者=優秀者(勝ち組、強者)になるためのブログというのも必要です。しかし、その種のブログしかなく、中にはテストステロンがもっとも大切なホルモンで、いかにしてテストステロンを上昇させるか、というものまでありました。
 テストステロンは生殖に関わるホルモンです。テストステロンは視床下部と下垂体前葉にフィードバックされているので他のホルモンの分泌にも間接的には影響を及ぼしますが、基本的には精力や体力、筋力、積極性の上昇など優秀なオスになるために必要なホルモンに過ぎません。なので、テストステロンを上昇させることが全てというスタンスには賛同できません。人間として優秀さには他の要素が多々あり、その要素に関わっているホルモンも他に沢山あります。
 残念ながら、現在ネットに溢れているオナ禁ブログのほとんどは、オスとして優秀になるためのものばかりです。人間としての他の要素や能力を引き出すものに関してはほとんどありません。人間としてどう発展していくか触れているものもなくはないですが、具体的な方法に関しては書かれていていません。優秀なオスから、才能やモラル、愛、共感性に溢れた人間になるためのものを書くためにこのブログを作りました。
 このブログでは、まずみなさんが一番興味があるだろうもの、才能の開花について、つまり、どうすれば天才になれるかについてフォーカスしたいと思います。


 まず、とっかかりとして天才の生活とはどんなものか知っていただきたいです。

インスピレーションのままに生きて、、、といった言葉で語ったところ想像つかないと思います。類は友を呼ぶと言うように、家族など生活を共にする人の中でこういった人が存在しないと、その生活は想像すらつかないものです。
 僭越ですが、私の生活の一部を紹介して一例とさせていただきます。内容の一部、自慢のようにとらえられる部位もあるかと思いますが、自慢したいわけではなく、生活の実態として詳しく理解してもらうために書いたものなので、なにとぞご容赦いただきたいです。

 まず、私はアラームをかけて寝ません。毎日、目が覚めた時が起きる時です。
 といっても、私はオナニー中毒者ではないので寝起きもよく、起きる時間は朝五時から七時の間が多いです。そこから、音楽をかけたり散歩したり、とその日の気分によって行動は違います。
 その後もそうです。本を読む時もあれば、カフェに出かけることもあります。一人で数泊の旅行に出る時もあります。
 そして、インスピレーションが降りてきた時に仕事をします。数十分の時もあれば数時間の時もあります。終われば、また好きなように生活します。
仕事関係の人とメッセージをやり取りすることもありますが、あっても1日に6往復くらいでしょうか。一切やり取りがない日のほうが多いので、携帯もほとんどチェックしません。仕事で人に会うのは二か月か三か月に一度くらいです。仕事相手はみな、みなさんのような明らかに優秀な人たちで(オナ禁達成者か、あるいはオナニー中毒になったことがないエリートたち)、優しくて気遣いのできる人たちです。いつも最大限の敬意をもって接してくれます。
 また月に一度や二度、講演することもあります。一回一時間くらい、対談や企画があると二時間くらいになることもあります。講演料はだいたい八十万から百二十万くらいが多いでしょうか。
ただし、お金で仕事を選ぶことはないです。テーマや話す対象を知って、心からお話ししたいと思った時だけ依頼を受けています。交通費だけいただいて、実質無料で受けることもあります。
 本業の報酬は数十万から数千万の値がつくことが多いですが、これも私としては別にいくらでもいいです。無事に一つの仕事を終えることができて、それだけで満足です。
 幸いなことに生活は潤っています。新しい分野で活動するようになってから、お金のために活動したことは一度もないですが、充分な報酬をいただいています。普通のサラリーマンの数十倍くらいでしょうか。物欲がないというのもありますが、お金で困ることはなくなりました。

 さて、どうだったでしょうか。  

 ちなみに私が活動しているのは数多くある芸術分野の一つです。音楽、絵画、文学、陶芸、詩、などなど現代芸術の一つで、みなさんも知っているものです。
 おれは芸術に興味がない、ビジネスで頑張っているんだとか、一つ上のステージが芸術家ではない、と思われる方に誤解されないように言っておきたいのですが、もちろん、芸術活動が一つ上のステージと言いたいわけではないです。
 私が言いたいのはある種の才能が開花すると、のぞむ、のぞまないに関わらず、このような生活になってしまうということです。つまり、自分のフィーリング中心の生活になるということです。
 みなさんも自分の働いている分野で君臨している人たちを思い浮かべてください。どの分野でもトップに立っているのは天才たちです。ビジネスのトップ、学問のトップ、営業のトップ、スポーツのトップなどなど。
 彼らは生まれつき特別な才能を持っています。あるいは、途中から才能が開花した人もいるでしょう。どちらにしろ、彼らをトップまで押し上げたのは才能です。努力もしているでしょうが、ではみんながみんな彼らと同じくらい努力をすれば、誰でもトップに立てるでしょうか。
 オナ禁を達成してエネルギーに溢れたみなさんは、他人よりも精力的に仕事や学業に打ち込んでいらっしゃるでしょう。その結果、その分野のトップになれましたか? もうすぐ、トップになれそうですか?
 残酷な問いかけで申し訳ないですが、伝えたいのは次の一文です。
『一般的なオナ禁では秀才やエリートになれても、天才にはなれません』

(ちなみに、もしあなたがすでにその分野のトップで、多くの取材を受けて、新聞やテレビで取り上げられているという立場なら、申し訳ないですが、このブログはあなたの役には立ちません。時間の無駄ですから、読むのをやめてもらって結構です)

 私は三十代ですが、ここに至るまではあなたたちと同じでした。もし、私が生まれながら才能があったなら、あるいは、芸術一家に生まれて恵まれた環境で育って今の状況にあるというのならば、私はあなたたちに何も教えられないでしょう。
 しかし、私の両親は芸術家ではない一般人で、親戚にもそういった人はおらず、その世界にコネもない人間でした。また、幼少時から、特別な教育も受けていません。
 恥ずかしながら、私もまた十数年前までオナニー中毒者であって、そこから数年かけて抜け出し、あなたたちとオナ禁達成者=優秀な人間になりました。私も優秀であることを楽しんだ時期が一時期とはいえありました。仕事に打ち込み、筋トレに励み、女性と楽しい時間を過ごしました。
 しかし、長い間そのステージにとどまることはなく再び進みはじめ、とうとう私は自分の中から確固とした才能を掘りだし、三十代から創作活動を始めました。

 ちなみに、ここで私が述べている「才能」というのは、単なる向いているとか、得意だとか、好きだとか、そういうレベルではないです。
 こういう言いかたは大変失礼ですが、人間の99,9%(もっとでしょうか?)は生まれつき才能を持っていなくて、かつ、人生で一度も才能を開花させるという経験がないので、才能というものがどういうものかわかりません。
 才能があるというのは、例えば、少し勉強しただけで東大に合格したとか、運動神経が良くて甲子園に出て活躍したことがあるといった、といったものとは根本的に異なります。それはただ優秀なものが効率的に努力しただけの成功体験に過ぎず、得意だったり向いていたりはしたのでしょうが、才能というレベルには達してません。
 難しく言うと、人間深部へ普遍性にアクセスできるというのが私なりの才能の定義です。
 ちなみに後天的に才能が開花する際は、否が応でも、自分の人格、そして、自分の生活の全てが変わってしまいます。才能が開花するというのはそれほどの凄まじい体験です。

 では、才能が開花するとは一体どのようなものか、ふたたび僭越ですが、私の実体験を元に説明させていただきます。便宜的に、ここでは絵の才能が開花したことと仮定します。

 私が才能を見つけ出した日のことは今でも覚えています。自宅にいる時、ふと絵を描いてみようと思いました。そして、画用紙とクレパスを買ってきて、描き始めた瞬間、胸に猛烈なエネルギーを感じて没頭してしまいました。
 そこから寝ても覚めても絵のことばかり、日常生活や仕事に支障が出るほどでした。恋人や友人とも疎遠になりました。彼らと会っても頭には絵のことばかりが思い浮かび、彼らと話しても上の空でした。何より私自身も彼らと会うよりも自宅で絵に没頭したいと思ったからです。
 高校から大学まで理系で、理系の会社に勤めていた自分に、芸術的才能が開花するとはたいへんな驚きでありましたが、それまでにオナ禁から独自に発展させた内面的なワークを続けていたこともあり、とうとう自分にも次のステップへ進む時が来たのだと素直に受け入れました。  
 そうして、しばらくして私は会社を辞めました。別に勝算があって辞めたわけではないです。その頃には、体中に新しいエネルギーが駆け巡って、絵のことしか考えられなくなっていました。絵のこと以外、何も手につかなくなっていたので会社での仕事が手につかず、辞めざるを得なくなってしまったのです。
 このレベルで才能が目覚めると、どうしようもなくその才能を信じてしまいます。自分が通用するだろうかと不安になることもできません。疑うことすらできません。今までの自分の人生で感じたことがない、深く力強いエネルギーなので抵抗などできないのです。20年来の親友の親身な助言も、最愛の恋人の助言も、そのエネルギーには勝てませんでした。
 私はその時とても安定した職業に就いていました。性格も理系の人間で、どちらかというと用心深く、頭の固い人間でした。だから、私の願望としてはその職業を続けたかったのです。
 しかし、その才能が放つエネルギーには太刀打ちできませんでした。なので、私はそうそうに抵抗を諦めて、その才能に従い、泣く泣く会社を辞めたのです。
 この状況がわかりにくい人は想像してください。例えば、オナ禁を始めた時、ものすごい性欲が襲ってきて、駄目だとわかりながらもオナニーしてしまったことが一度くらいはあるのではないでしょうか。理性では抑えられないエネルギーだったのではないでしょうか。それの芸術版と考えてもらうとわかりやすいでしょう。胸や頭に色とデザインが浮かんでしまって、描かざるをえないのです。描かないと狂ってしまいそうになるのです。実際に描けば描くほど良くなり、同時に色、構図、デザインなど、絵に関することが恐ろしい速さで理解できるようになりました。
 今もそれは続いています。才能が開花した時の、火山が噴火したような状態とは違い、落ち着いてはいますが、時おりエネルギーの奔流を感じて、その衝動のままに描けてしまいます。
 

 さて、私の実体験はいかがだったでしょうか。私の才能が絵、ということをのぞいて、全ては私が体験した実際の出来事です。あなたは人生でこのような体験をしたことがあるでしょうか。

 
 話しを戻します。そういった紛れもない才能に出会った私はその後どのようになったでしょうか。芸術の世界は想像以上に厳しい世界でした。絵を描くというのは、高校を卒業して以来、関わったことがありませんでした。私の競争相手は美大出身だったり、絵の先生をしていたり、子供の頃から絵を描くのが好きだったり上手だったりした人です。
 それでも、確固とした才能に沿って描かれた絵は評価を受けました。初めて完成させた絵はおよそ1200作品の中でだいたいベスト20に残りました。半年後に完成させた絵はおよそ2000作品の中で30番くらいだったと思います。 
 ただ、芸術の世界は勤めていた時代とはまったく違う世界でした。サラリーマンなら一位のサラリーマンから千位のサラリーマンまで、レベルに応じた仕事があります。厳しいと言われるプロのアスリートも、サラリーマンと比べればはるかに厳しいですが、芸術分野に比べればまだましです。プロ野球選手になるのに、ドラフト一位でなくてもなれます。さらに十二球団もある。ところが、芸術分野では一位でないと駄目です。そして、ナンバーワンだけでは駄目で、オンリーワンでないと駄目です。
 例えばですが、私はかつて、とあるコンテストに参加しました。日本で有数の権威あるコンテストです。出展数は2500作ほどでした。一次、二次、三次、と選考にかけられ、私は最終選考のラスト五人に残りました。結果は3位でした。私よりも優れたものが二人いました。ところが、その年のコンテストの授賞者はいませんでした。
 第**回〇×△ 「該当者なし」
とのことでした。一位の人間でも十分ではなかった、オンリーワンではなかった、という判断でした。芸術分野ではこういったことがたびたびあります。新しい人間文化を切り拓いたもの、でないと駄目なためです。
 普通の分野なら2500人の中で3位なら、もうエリートです。仕事にも困らないのでしょうし、高収入で圧倒的な勝ち組でしょう。しかし、芸術分野では駄目です。実際、3位の私には仕事は一つも来ませんでした。1位の人にもです。
 この分野に慣れるとおかしな感覚になります。私の友人に弁護士がいますが、難関といわれる弁護士の試験の合格率が4%もあることに驚きました。百人受験して四人も通るのだと。努力すればだれでも通る試験ではないでしょうか。
 もちろん、優れた知性がなければ、途方もない努力は必要とされるでしょう。しかし、才能さえ開花すれば、ここでいうと知性の才能を磨けば楽しみながら司法試験は突破できるでしょう。私の友人は在学中に一年半で司法試験に合格しました。何回か読めばいつのまにか覚えていると言っていました。彼もまた天才でした。

 さて、その後の話しですが、確固とした才能を手に入れた私はだいたい五年後には彼らを全員押しのけてトップに食いこみました。その頃には新聞に載ることにも慣れていたと思います。時おり、自分の絵を見かけることにも慣れました。
 生活はがらりと変わりました。私に全ての人が合わせてくれます。大切なのは私のインスピレーションです。私に指図する人は誰もいません。テーマも指示されたことは一度もないです。周りが私に求めていることは、インスピレーションのままに仕事をしてほしいということです。思うままに生きて、思うままに創ってほしいのでしょう。
 何か必要な時は、メッセージを送るとあなたたちのような優秀な人たちが何から何まで用意してくれます。私が誰かのために、活動しなければならないということはないです(私としては、人のために活動するのは大好きなんですが)。
 創作に期限はありません。いくらでも待ってくれます。数か月かかることもあれば、数年かかることもあります。進捗をたずねられることはあっても、急ぐように言われることは一つもないです。数か月よりも、数年かけたものの方が価値があると考えているのでしょうか。(個人的には芸術の本質とかかった時間は関係ないと思っています)
 そして、名声も手に入りました。世界は才能のない人は存在自体を無視しますが、才能ある人には心から敬意を払ってくれます。才能があると認められた人にはとんでもない仕事が降りてきます。一生名前が残る仕事です。
 あらゆるメディアから取材の申し込みがありました。私が死ねば、ヤフーニュースに載ります。死ななくても、癌になってそれを公表すれば載ります。(自分の病気を公表するタイプではないですが)
 医師でも、弁護士でも、タレント活動をしていない限り、載ることはほとんどないでしょう。まして、生前に業績でヤフーニュースに載ることはないでしょう。
 つまり、私が言いたいのは高収入の弁護士でさえ、あなたたちと同じ優秀な人間に過ぎない、ということです。                    (もちろん、弁護士の中にも天才はいるでしょう。ただ、その人はあくせく働いていないでしょう。強烈な個性と才能で唯一無二のシステムを作り、あとは悠々と生きておられるのでは)
 
 
 重ねていいますが、芸術分野の話をしたいわけではないです。たまたま、私が活動する場所が芸術分野なだけです。どんな分野の才能を開花させるかによって活躍する分野は違ってきますが、どの分野でもトップは自分のフィーリング中心で生きています。それが許されています。

 基本的にオナニー中毒者は非オナニー中毒者(オナ禁達成者、あるいはもともとオナニー中毒者では人)には本質的に勝てません。つまり、劣等者(オナニー中毒者)が優秀者(非オナニー中毒者)の言うことをきくのは自然の摂理で、不公平でも理不尽でもなんでもないです。見下したり、いじめたりするのは間違っていますが、優秀な人間の指示のもとで動くのが至って自然です。
 それと同じように、優秀な人間が天才の手助けをするのも自然なことで、実際のところ、社会はそのようになっています。どの分野でも、ごく一部の天才がシステムや流れを作り、その下のエリートたちがそれを理解して、大手の力で世に広めていきます。そして、世の中の人はそれに従っていくことになります。
 繰り返しいいますが、大切なのは努力を重ねた年数でもなく、好き嫌いでもなく、いい人に教わることでもありません。もちろん、年数がたてばより洗練されるでしょうし、好きであれば楽しいでしょう。いい人に教われば良い影響を受けられ、結果として才能が目覚めることもあるかもしれませんが、才能をある程度もともと持っている場合で凡人が才能を開花するわけではないでしょう。
 才能があったのに途中で駄目になる人もいますが、それは確固とした才能ではなく、ムラッ気のある不安定なものの場合です。一度、真の才能に目覚めたら、天才であることを辞めることはできません。
 幸いなことに、私は自分なりのメソッドで才能を掘りだすことができました。その才能でもって、あるコンテストを勝ち取りました。オナ禁術で得た、才能と運を使いました。私の人生で大いなる転換点です。
 そこから私の人生は新たなステージに進みました。それをなしえたのは、とにもかくにも、確固たる才能を自分の中から掘り出したからです。
 結局、悲しいことにトップに立てるかどうかは才能があるかどうかです。シビアな事実ですが、どの業界でもそうでしょう。どれだけ努力したところで、才能には勝てません。
 年数を重ねれば、業界に顔をきく古株にはなれるでしょうが、トップにはなれません。才能なしでトップに立てたのなら、あなたの属している分野は最近できたばかりの未成熟な分野か、あるいは今後衰退していく斜陽分野か、コネや癒着で全てが決まる腐敗した分野なのかもしれません。
健全な分野はいつも天才を認めて支えます。

 才能を開花させられるかで、生き方が全く違ってきます。どんな分野でも、その分野のトップたる人物は大なり小なり特別な才能を持っています。
ビジネスでいうなら、その才能が目覚めれば、あなたは独立して会社を興す場合がほとんどでしょう。あなたが独立したくなくても、圧倒的なエネルギーとビジョンに突き動かされてしまうので、嫌々ながら起業することになります。そして、周りもほっておいてくれません。
 もちろん、どの分野でも才能だけでは駄目です。情熱や忍耐力、モラル、覚悟などさまざまなものが必要です。しかし、才能がなければ何も始まりません。才能のない人の忍耐は、満員電車に耐えるサラリーマンの忍耐と一緒で、世間で高く評価されることはありません。

 オナ禁を達成された優秀なみなさんは、充実した毎日を過ごされていると思います。しかし、どうでしょう。その生活を続けていて、ある日、強烈な才能に目覚めることはあるでしょうか。運が良ければあるかもしれません。しかし、今のままでは恐らくそういったことは期待できないでしょう。
 想像してみてください。オナニー中毒から脱せずに、今の自分になることはできたでしょうか。あのオナニー三昧の生活を続けながら、今の自分になれたでしょうか。
 今のあなたがあるのはオナニー中毒から脱したおかげです。性の依存症から脱するのはある種別人に生まれ変わるに等しい、本質的な人間改善です。オナ禁を達成したということは、射精によって放出していたエネルギーを体内に循環させる新たな回路を得たということです。
 それと同様に本質的な改善をしない限り、次のステージにはいけません。どれだけ、オナ禁を続けて、性エネルギーを体内に循環させても才能を掘りだすことはできませ ん。                      (厳密には可能性0ではないですが、直接的な方法ではないので時間が異様にかかります)
 つまり、今までどおり、オナ禁を続け、筋トレを続け、健康的な食事を続け、健全な人たちと関わっているだけでは無理です。どれだけ重い重量を挙げられるようになってムキムキになっても、どれだけコミュ力があがって異性にモテても、どれだけオナ禁を続けて清く崇高であっても、残念ながら才能が掘り出されることはないでしょう。
 オナ禁を数か月ないし、半年ほど続けたなら、次のステージに進まないといけません。でないと、いたずらに時間を浪費するばかりです。長期オナ禁に入った人のほぼすべてがその後は緩やかな変化しか体験できないのは、次のステップに進んでいないからです。
 もちろん、冒頭で話した通り、次のステップを探すことがないのは現状で満足しているからなので、当たり前といっては当たり前なのかもしれません。

 ほとんどの人がオナ禁を何度も失敗しては挑戦し、ようやく達成できたように、次のステップも容易ではないです。より高度な自制心と忍耐が必要とされます。
 信じられないかもしれないですが、私の生活にはストレスが全くないです。周りの人は常に私に敬意を払って、私のペースで全てが進むからです。競争なく、駆け引きもなく、穏やかさで溢れています。ただし、苦しみはあります。すべてが穏やかになると、ようやくやってくるのが真の苦しみです。
 逆に言えば、ほとんどの人の人生はストレスと戦いでいっぱいです。優秀になればなるほど競争にさらされます。そのかわり、苦しみはないです。苦しみがないので、本質的に新しいものを生みだせません。苦しみがないから、何かの才能が掘り出されることも一生ないのです。
 思い出してください。オナニー中毒の時、あなたは性欲と戦う必要はありませんでした。毎晩、性欲のままに動画を見ながらオナニーをできました。しかし、オナ禁を始めて、中毒性の性欲からの誘惑と戦うことになりました、しかし、やがてあなたは制欲を克服し、見違えるように強くなりました。
 人間の中にあるのは克服すべき要素は性欲だけではないです。無知や思いこみ、偏見は知性の発展を妨げています。傷を舐めあうような人間関係や馴れ合いは芸術性の発展を妨げています。一般的なテレビやyoutubeなどは知性や感受性を平均化するだけで、輝かせはしません。テレビやYouTubeを見ても、ただ凡人同士がありきたりの感受性を通して共感できやすくなるだけです。(もちろん、そうではないテレビやYouTubeも一部あります)
 こんなこというのは大変申し訳ないですが、今の時点であなたに何の才能もないのなら、あなたはほどほどの知性と感受性しかない、常識と偏見にまみれていている人間です。あなたの周りにいる人もそうです。オナ禁達成してはいるので、正確に言うと、体力と自信と優しさに溢れた、ほどほどの知性と感受性しかない、常識と偏見にまみれた人間、といったところです。オナ禁によって、多少の偏見や常識から解放されはしたでしょうし、ドキドキしたり、ときめいたりできる程度の感受性は手に入れたのかもしれません。しかし、新しい何かを生み出せるレベルとは到底言えません。

 オナニー中毒が次のステップに進むために、オナニーを辞めて性欲に打ち勝とうと苦闘するように、オナ禁達成者が次のステップに進むと、様々なことに苦闘するようになります。今までの人間関係にうんざりするようになるでしょう。仕事はこなせるでしょうが、早くこなせて評価されて出世したところでそれが何だというのか、と醒めきってしまいます。自分にしかできないなにか、とはなんなのか、自分とはなんなのか、という悩みに常に苦しむことになります。
 オナニー中毒から脱した時、多くの魅力的な女性があなたに好意を持って寄ってきたと思いますが、今度はあなたが彼女らと距離を置きたくなるでしょう。キラキラと光る彼女らと仲良くなりたかったはずなのに、独りで居たくなるでしょう。家族や友人ともうまくいかなくなるかもしれません。
 それは才能発掘の時に起こる一時的な現象です。才能の開花には一定期間の孤独が必要です。それをスムーズに乗り越えるにはガイドが必要です。さもなければ、あなたは孤独な変人として、生涯生きることになります。
 この世のすべてが面白くなくなり、この世にあるものでは満足できなくなった時は、「生まれかわりどき」です。それはあなたの知性や芸術性、感受性が世界の最前線に到達したときに起こります。今までは世界の天才たちが生み出したものを楽しむ立場だったのが、今度は自分が世界を楽しませる立場になります。世界にあるもので満足できないので、自分で創り出すしかしょうがない立場になってしまったのです。
 ほとんどの一般人が考えていることはすでに考えられています。そして、すでに解決されているか、解決しようとしている人が存在します。しかし、大学や大学院、研究施設ですら考えもされていないことに辿りつけたなら、自らが研究者になることになるでしょう。
 ビジネスなら自分が起業して、サービスを提供するしかなくなります。偶然の思いつきで起業に至る人がほとんどですが、天才たちの起業はそれとは根本的に違います。一般人が偶然の思いつきで起業して成功したところで、その後すぐに大手にマネされるために、うまくいくためには運と縁と大変な企業努力が必要とされるでしょう。天才たちの才能は誰にもマネできません。天才たちは息を吸って吐くように新しいものを生み出し続け、その分野やひいては社会にインパクトを与え続けるでしょう。彼らは運のよい一発屋ではないのです。

 どちらにしろ、苦しみが訪れた時、スムーズに才能を開花させるにはガイドが必要です。オナ禁を始めた時、性欲を筋トレに持って行ったり、あるいは豆乳を飲んで性欲を調整したり、そういった知識が有効だったように、苦しみや孤独を才能の開花に結びつけないとただただ苦しむだけになります。


 さて、まとめにはいりましょう。お気づきのように、ここまでほぼ同じことを繰り返して言ってきました。
 みなさんにも、オナ禁の次のステップが存在するということ、『優秀なオス』のさらに上のステージがあるということをわかってもらえたと思います。次のステップに進めば、大変なことはいっぱいですが、得るものも多いです。
 次のステップに進むのには時間がかかります。オナ禁ですら、何度も失敗したでしょうし、次のステップは数か月程度で成功するようなものではありません。大変ですが、得るものもまたオナ禁より多いです。
 一度、才能が開花すれば、ジェットコースターのような人生が待っています。望む、望まないに関わらず。


 外交的な人に伝えたいのは立ち位置の変化です。

 誰しもが自分の人生の主役ですが、残念ながら社会においてほとんどの人は脇役です。社会の主役は天才で、その他大勢はそれを支えたり、それに従う脇役です。周りの全ての人があなたを支えるために動いていないのなら、あなたも脇役に違いありません。どれだけ、優秀だろうが、才能がなければオンリーワンではなく、代替可能な高品質の歯車に過ぎません。
(ただし、先に述べたように、どんな人であれ、自分の人生の主役なので社会でどんな役回りであれど、敬意は払われるべきです。)


 内向的な人に伝えたいのは周囲の理解です。

 今まで感じられなかったことを感じ、喜び、苦しむことができるようになります。そして、何よりもストレスがなくなります。無駄な人間関係、無意味な仕事から解放されます。自分の感性のままに探求したいことを探求できるようになります。そして、それを周りが理解して、支えてくれます。今まで周囲に理解してもらえず、支えてもらえなかったのは、確固たる才能がなかったからです。才能があれば、早い段階で気づく人間が必ず現れます。

 
 長々とお付き合いいただきありがとうございました。

 ここまでブログを読んでくれた人は、そういった人間になりたいのではないのでしょうか。あるいは、才能が開花するといった衝撃的な体験をしてみたい、生まれ変わってみたい、といった願望があるのではないでしょうか。
 次ではさらに詳しく、解説していきたいと思います。

 準備にいましばらく時間かかります。お楽しみにお待ちください。

                             


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