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血と水

最近、
よく目にするようになった。
"地球にも人にも優しいヴィーガンライフ"

私は幼い頃、真珠養殖を家業としていた小さな小さな海辺の街で育った。
当時、その小さな街は真珠バブルが起きていて、どのお家も大きな家を建てたり建て替えたり、。
小学校低学年頃までの記憶はほとんどが、かなりバブリーな思い出しかない程だ。
(悲しい事に、2021現在は街中で閑古鳥が鳴いている)

そんなバブリーな街で、従業員を雇い真珠養殖を営んでいた我が家は、毎月ステーキハウス(鉄板焼きレストラン)か焼肉屋さんに従業員とその家族達を引き連れ、総出で定例会を開いていた。

私が確か5.6歳ごろ、小学校にはまだ上がっていないくらいの時、家族の定例会で行きつけの焼肉屋さんに行った。みんなで美味しくお肉をいただきながら、肉がジュージューと焼ける音に負けじと、ワイワイと大人たちは話が盛り上がっている。

すると突然、親戚のおじさんが、私に向かってこう言ってきた。

「このタンはね、牛のベロ(舌)なんだよ〜」
「…。」
網の上の肉が焼ける音までもを換気扇がすべて吸い込んでしまったみたいに、私の耳から全ての音が消えた。

それまでの私はお肉と言うものが一体何なのか、そんな事すら分からないままにただ食べていた。
しかし、その叔父さんの一言から
私の食べ物に対する、ある意味で"恐怖"がはじまってしまったのだった。

途端に、動物の"血の味"が強烈に私を苦しめるようになった。
吐き気が止まらなくて、食べたものをその夜全て吐いてしまって母親に迷惑をかけた事を鮮明に覚えている。

"吐く"と言う行為から、私には肉は受け付けられない身体なのだという事を教えられた様な気がした。

その後もなんども、試してみた。
でも、やっぱり吐き出してしまう。
"血の味"が強烈に私を苦しめる。

その味は、転んでしまって膝を擦りむいた時滲み出てきた自分の血と近い味がする様に感じられた。当時、想像力に長けていた私は、自分自身を食べている様にさえ感じた。


教育熱心な母に育てられた私は
家の晩ご飯で、マナータイムという時間があり、たまにフォークやナイフ、スプーンなど銀食器が規則正しく並べられたテーブルに座り、洋食のコースメニューが繰り広げられるマナーを学ぶ食事の日があった。
その時、決まってメーンはいつもステーキだった。

それがもう、苦痛でしか無かった。

それからと言うもの、肉が食べられなくなった私に、母はマナータイム時のメーンを家族で1人だけフィッシュにしてくれた。

だけどもう、遅かった。
お魚の顔が私を見つめてくる。
ダメだ。気分が悪い…。

こんな風にして、どんどん肉や魚を受け付けられなくなり、アレルギーは無いものの、安心して心地よく口に出来るものが減っていった。
料理を作ってくれる母や祖母に、気を遣い
たまに食べられるようになったフリをしては、その後吐いていた。
小学校の給食は、いつも昼休みいっぱいを費やした時もあった程だ。

そんな風にしてだんだん成長していった私も社会人になり、初めて勤めた職場の先輩達に食事に連れて行ってもらう機会などが増えてくる。それは、またしても決まって焼肉だった。
もう、食べるしか無い。お酒をごくごく飲み干してから、肉に手をつける。
こうすれば、苦手なお肉もその場では食べられるようになった。

慣れないお酒は、私の感覚器官を見事に鈍らせてくれた。

気づけば、辛い食事会の焼肉にも慣れてきた頃、私は「ヨガ」に出会った。

ヨガに出逢うと、ベジタリアン、マクロビ、アーユルヴェーダ、、私の素直な感覚を優先させてくれるものや人に触れられるようになり、私は自分の仲間を見つけた気がした。

"食べても、食べなくてもいい"
"自分の感覚に従ってチョイスしていけばいい"
そう言ったマインドに至極助けられたのだ。

どこかいつも無理をしていた食事の場面で、ファスティングをしたあの時のような、胃腸のスペースと同様、私は心にスペースを感じられた。

赴くままにベジタリアンになってみた。

それが続かなかった事が、更なる食に対する感覚のズレを私の内側に生み出したのだけど。

どうしてだろう、不思議に思った。
そこには、幼い頃から消化されずにいた"何か"があったのだ。
その"何か"は、ベジタリアンになった事では解消されなかった。

血の匂いが、血の味が、自分とは違う生命体を食らう行為そのものが、水と油が溶け合わないみたいに、心身の未消化物として私の中に残留し続けていた。

長年そう思っていた。

そんなある日、

春の麗らかな陽気に、ベランダで育てている花やハーブを眺めながら、ランチをしているとふと、風のグルーヴに乗って揺れる
植物たちに何か諭されたような、そんな気がした。

私たちも生命体だと。
…。

そう、植物も動物と何ら変わりない"命"なのだ。その瞬間、私は頭を打った。

"地球にも人にも優しいヴィーガンライフ"とは、いかなるものか、、。

溶け合うことのない、水と油に突如、界面活性剤という得体の知れない救世主が現れて、

混ざりあうことのない、
溶け合うことのないと思っていたもの同士が、混ざり溶け合ったミラクルみたいに。

私の体に巡る体液はまるで乳白色に淡く染まった様な感じがした。


肉を食らおうと、花をいただこうと、どちらも命をいただいている。
だとしたら、これまでの私は植物の命を軽視していた様なそんな気になって、一旦自分が嫌いになった。

あぁ。そうか、ごめんなさい。どちらにせよ私は命をいただいて、自分の命を燃やしている事に変わりは無かった。
それが心の底からは認められずに、自分が偽善者の様な気がして、違和感に繋がっていたのだった。
腹を括って、その事実を受容した。
ありがとうございます。純粋に感謝の気持ちが溢れてきた。
途端に、食に対する恐怖が消えていき消化の弱かった私は、消化力さえも上がった気がする。

ベジタリアンやヴィーガン、フルタリアンなどの食のスタイルもある種の思想だと私は感じている。(宗教の場合もあるだろう)それは、その人それぞれの生き方なのだ。

ただ、私はしっかりと手を合わせたい。
いつも感謝の気持ちを込めて食べられるように。血の匂いや味も含めて、命を味わえるようになりたい。そう思うようになってきた。


私の体には、血も水も流れている。
動物的要素も、植物的要素もどちらも自分の内側に感じられる。

血と水。
不思議なことに、それらは生命の源である事に間違いはないが、未だに時々私は肉を受けつけなくなる事がある。その反対は無い。
それは、植物の命を軽視していると言う訳とはまた違うのだ。
何というか私的感覚的に、命という一面から捉えた血と水は、やはり違うみたいだ。(物質的には当たり前の事を言っている様で、自分でも馬鹿馬鹿しいのだけど、今日はどうも言葉が見当たらない。どうか上手く汲み取っていただけると嬉しい。)

それは、
血を分け合った親子が何かの拍子に絶縁関係に陥るみたいな、、
または、長年寄り添ったおしどり夫婦が、突然離婚をしてしまうみたいな、。

血と水の関係は私にとって
説明の追いつかない、感覚的事実なのだ。


"地球にも人にも優しいライフスタイル"
…正に
暗闇の中で黒猫を探すみたいな事だ。

衣食住。食だけ取っても多様な生き方が存在するが、生きていく為のヒエラルキーはいつか私たちの想像を超えていくのかもしれないな。

そんな風に感じた今日は、天赦、一粒万倍、寅の日、、そんな言葉を沢山味わったよ。
光が私の体液だったら良いのになぁ。なんて、頭の中は春の陽気でお花畑状態な私。

ご機嫌あそばせ♡

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