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浮気って一体何ですか?

"愛しか知らない"

こんばんは asuka です。


浮気って一体何ですか?

このお話しを読み進めていくと、
もしかすると
あなたの閉じかけている傷口をひらいてしまうことになるかもしれません。
もしかすると
あなたの忘れかけていた罪悪感に水を差すことになるかもしれません。
もしかしたら
また傷をつけてしまうかも知れません。
もしかしたら
もしかしたら…

だけど、傷をつけたい訳ではなく
私は水のようにあなたの傷と溶けていきたいのです。
消える訳ではなく、中和されていくようなそんな言葉が選べればいいのだけどどうしても私の至極、個人的な価値観となってしまう事を先に謝っておきたい。

ごめんなさい。



だけどもし、"浮気"という言葉の渦中にいる人達が、もしくはその言葉の過去で、自分自身と向き合っている人達がいるとしたら、
たった1人の友達の意見として、ぜひ読み進めて欲しい。


浮気という言葉を聞いて、連想するイメージはきっとそれぞれに異なると思う。
単純に、浮気をされた側と浮気をした側でもかなりの違いがあり
これは、悲しくも残酷なことにどこまでも交わることのない点と点に過ぎない。

折り合いという、私の大の苦手な言葉を除いては。
それはまるで命の危機に晒された瞬間、自分でも理解の追いつかない行動をとってしまうみたいに。人は皆、自分自身を1番に守りたいものだから。

浮気というのはまず
男と女がいて成り立つものだ!と私は思う。
セクシャルマイノリティだとまた変容するはずだけど。

人間が誰かを好きになるというのは、あまりにも動物的であり本能的。
みんながみんな、パートナーに求める条件や理想のようなものを友達に聞き合うのがお酒の席の定番おつまみみたいになっているけれど、
結局のところ
"好きになった人がタイプ"
という雑炊的な王道シメで終止符を打つ。

そう、私たちは"好き"の理由を説明できない。
説明できるとすれば、きっとそれは本能的ではなく頭脳的恋愛、もしくは言葉の誤である後付けじゃないかと思う。

言葉はいつも不確かな真実だ。

恋=堕ちる
では
浮気=???

私が考えるに、浮気は恋以上に恋で、堕ちているものだと思う。
あまりにも頭脳的ではない本能に翻弄されたものであり、頭隠して尻隠さず状態。

それは、悪や正義だなんていう宇宙以外の何かが生み出したようなちっぽけなものなんかではなく、人間の、いや、動物の極みなんだろうと思う。

みんな、その事実をよく理解している。
何故なら人間全てに備わった機能だからだ。
男が女を追い、女が男を受容れる。
理解しているはずだけど、それは誰かを傷つけたり、傷ついたりする。
分かっているけど、苦しい。痛い。
自分には見えない、誰も触れることのできない何かが、痛い。

それはきっと心があるからだろう。
感情もまた、本能のように簡単には制御出来ない。そんな事が出来るとしたら、私たちは今頃、世を捨て、性を捨て、インドはヒマラヤの山奥でこの世とあの世の仲介人のような透明人間になっているに違いない。


大切だと思っているものは、いつも本能という小宇宙で見失いがちであり、または、取り戻しがちでもある。
だから心が地球に戻してくれるのではないだろうか。

私はそんな人間味溢れる人間臭さが意外と嫌いではない。
不完全性の中に秘めているその人の完全性みたいな魅力に惹かれがちでもある。


ミステリー溢れる宇宙には『良いとか悪い』という概念がそもそも存在しないと聞いた。
認めたくない事象であっても完璧なまでのピュアニストなのだ。
あらゆるものを引き寄せ、あらゆるものを与えて、あらゆるものを叶えてくれる。
あなたが思いを放ったそのままに!

っていう宇宙の法則はさて置いて、笑

今回は浮気をされた側、浮気をした側で想いを馳せてみようと思うの。
浮気相手、不倫相手とまで広げていくと、ワインが1本では終わらないと思うので、。


浮気をされた人は、浮気をされたという事実よりも、どうか自分の気持ちを大切にしてあげて欲しい。いつもは見えなくても、酷く傷つくことで見えてくる本当の気持ちも存在する。
理屈じゃなくて、露わになったその気持ちをただ抱きしめてあげて欲しい。それがきっとあなたの心の底に大事にしまっておいた正解だと私は思うから。
傷ついた分だけ、自分のハートの中にある温かな愛に誇りを持とう。
それから、私の個人的な経験からお話をすれば、疑うよりも信じたいかどうかで決める場合が多い。
疑い〈 信じる
疑い 〉信じる
どっち?みたいな感じで問いかける。
参考になるかどうかは分からないけど、なったとしたら幸いだ。


浮気をした人はもちろんバレてはいけない。
もしバレたとしたら、必ず相手の心に傷をつける。これに例外はひとつもない。
その事実を胸に置いた上で、罪悪感を持つくらいだったら浮気をしてはいけない。罪悪感を持った時点できっと全てが終わっているから。
"嘘も方便"
というのは、浮気をしている人からすれば使い勝手のいいことわざだと思うが、それは絶対的に相手にバレてない事が前提にある。
もうバレてしまっては全てにおいて、後の祭りだ。
だから浮気をするなら心の底からハッピーでないといけない!!!
どうぞ、存分に人間臭を漂わせて街を歩いていただきたい。(勘違いしてほしくないのだけど、これは嫌味ではない)本当にそう感じる。
その人間臭さは、見る人からすれば爽やかな魅力にもなり、また違う角度から見れば白雪姫が魔女から貰った毒林檎の様なミステリアスな魅力にもなると思う。

…。

何にせよ、もし私の友達が浮気してたりされてたりしたら、なんて言うかな。

私たち、人間してるねっ!
全ての経験を海に撒いて、美しい波に乗っていこうよ!って言ったりするのかな。

共感も、慰めもそこにはきっと存在しない。
その人の中にあるものが全てだから。

では、

浮気=???

ここまで書いておきながら云うのも何だけど、
そんなものを追求する必要性を私は感じない。

とにかく私は大切なものを純粋に大切にしていたいし、浮気をした、してないなんて言う衝突は形の無いものにカタチをつけていくアート作品みたいなものだ。
アーティストのつけた題やメッセージと言った枠組からは大袈裟に外れて、

"それをみた人によって解は異なります。"

みたいな…。
冒頭にも述べた様に、交わることのない点と点。交わろうと思うと見つからなくて、我に還った途端、蜘蛛の巣に引っかかっている。
悲しい現実の様で、断ち切れれば新しい世界のはじまりだ。

「あなたにはその作品がそんな風に見えるんだ!確かにそれもありだよね!」

とあっさりと相手を受容出来るのか否かは、あなた次第だけど、
私の経験からすれば、"浮気"を 大体の人は、パートナーと美術館にデートに行ってアート作品を見た時の様に、お互いの感想をすんなり認め合えている人達は少ない様に感じる。

近年耳にするポリアモリーやhippieの様な思想の方を除いては、、、。

だからこそ、過去や未来の様に当てにならない事よりも、今目の前にある、何かや誰かを大切だと思えるその感情を大切にして生きていきたい。

世の中には沢山の渦がある。
全てはぐるぐると巡っていて、放ったものはまた廻り、還ってくる。

渦の中心はいつもどんな時も自分自身だ。
その事を、私は忘れたくない。
軸を失ってしまった渦は、もう機能しない。
どんなに足掻いても手遅れなのだ。

気づけば、また違う渦中の中心に降ろされている。


敢えて最後に問うてみます。


浮気って一体何ですか?


さぁ、こんな夜は、ナチュールの赤ワインにチーズさえあれば今日という終わりの美学を嗜めるような気がするね。

全ての美しい女神たちに乾杯!

次回はそんなお話しでも綴ってみようかな。

だから私は、愛しか知らない。
この言葉のように、強く嫋やかに泳いでいこうよ。



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