見出し画像

エッセイみたいなファンタジー

書いても書いても、そこには嘘ばかりが並べられていて、文字に起こせば起こすほど感情を置き去りにされた気持ちになっていた。

書いては消して。を繰り返した数ヶ月間。
私としては珍しく、きっと思考が優先されていたような気がする。

お久しぶりです。
エッセイ、愛しか知らない。

いつの日かカフェで偶然居合わせた、高校で現代文の教師をしているという女性。
彼女にひとつ、尋ねてみた。"エッセイとは一体なんですか?"
彼女は、微笑みながらいつも子供たちに教えるように、まるで慣れた唇の動きを見せた。"うん、そうだね、エッセイとは「ちびまるこちゃん」みたいなものだよね!"
そうか。教師をしているときっと何度もこの質問に出逢ってきたのだろう。明快で分かりやすく、腑に落ちた。この質問に答えている時の彼女は、すごく優しかった。優しくて、楽しそうだった。
自分なりの答えを見つけている人は、どうしてこんなにも柔らかいのだろう。
決して偏る事なく、自負する事もなく、淡々とそれに向き合ってきた言葉だった。

そう考えると、"愛しか知らない"はエッセイの枠からはみ出している気もする。日常というよりは、もう少しファンタジーな香りを漂わせているからだ。この香りは、どうしても消えない。
どこかでみた景色を香りから思い出すみたいに、どうしても記憶から蘇ってくる。

いつもファンタジーの世界に生きているからか、エッセイみたいなファンタジー。これが、私の不確かな言葉であり、愛しか知らない、魂からの伝言なのかもしれない。

ということで、働かない頭を働かせようと抗うのはやめて、感情に限りなく近い文はどんなものだろうかと、愛しか知らない日常をちびまる子ちゃんのように飾らず起こしていくつもりではあるが、ファンシーな私が生きる日常だから、ファンタジーみたいなエッセイになってしまうのだ。

また書いていけそうな気もするので、愛しか知らない私の言葉たちを、またあなたのいる渦の中へとダイブさせてみようと思うの。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?