愛されることと、愛すること。
あなたは誰かに愛されていますか?
あなたは誰かを愛していますか?
…
こんばんは。
"愛しか知らない" asukaです。
今夜も空の青が深まって、星たちが艶めきを放ちながら踊っている。
私の苦手な寒い冬の唯一の楽しみは、星があまりにもうっとりと美しく、鼻腔を撫でる空気が、自分は温かい人間なんだと思わせてくれる様な熱のコントラストを、肺にひんやりと届けてくれる事だったりする。
冷たい空気を肺に送り届けながら、自分自身の温もりに有り難みを感じると共に、「あぁ、私はまだ誰かや何かを愛せる気がするな。まだあったかい。大丈夫だな。」とひとり静かに安心感を覚えたりもする。
愛されることと、愛すること。
どちらも愛なのに、だいぶニュアンスが違う様に感じるのは何故だろう。
私たちは生きていく上で、幸せになりたいと渇望するように
愛されたいと願っていたりする。
…
先日、月が双子座に移動してすぐのこと。
夜中にケータイが鳴った。
それは友人から、失恋したという報告だった。
その夜は、あまりにも澄み渡った冬の空で、星々が隠れてしまうほどに明るい満月だった。
今夜に限っては、そんなに煌々と輝く必要はないじゃないか。彼女の気持ちを察すると、都合良くそんな風に思った。
いつも感じる自然の移ろいと心情のギャップを埋められないまま、
あえて、彼女の心の扉をノックする必要も無いほどに、空はあっけらかんと語っていた。
こういう時に、気の利いた言葉の一つもかけてあげられない自分の人としての未熟さが、自分自身の胸を鋭角に刺してくるものだ。
友人からの失恋の報告というのは、
きっと、報告であり、相談ではない。
それを理解しておきながらも、ひと時でも話を聞いて、彼女の胸の痛みを僅かでも和らげてあげたいと思ってしまう、そんな無責任で良い人に成りすました優しさを羅列してしまいそうになる自分が未だ此処にいることを残念に思った。
それと同時に、そんな自分に早々に釘を打つのだった。
深夜0時過ぎ。
いつもの私たちなら絶対にチョイスすることの無い居酒屋にて。古い油の匂いがする混濁した店内と賑やかな人々、ハイボールの泡と共に失恋話しはシュワシュワと消えていった。
帰り道、次会う時は、チャーミングな彼女の笑顔に弾けるシャンパーニュで乾杯したいと満月に願ったのだった。
人様の失恋話に大体付き纏ってくる会話というのは、お決まり文句の様にいくつかある。
"男なんて腐るほどいるよ"
"もう、次行こう"
"今度はあなたを愛してくれる人と出逢ってね"
"酷い!そんな人忘れて、あなたはもっと愛されるべき人間だよ"
とかだったりしないだろうか。
"女は愛するより、愛される方が絶対に幸せだよ!"
みたいな事を口走っている人も少なくない。
基本的に、愛されることが何故か物凄く食い気味で、愛するという事の前提としてあるのがわたしは不思議でならないのだけど、。
愛されることは、自分ひとりでは叶わない。
必ず、自分ではない誰か、何かがあってこそ成り立つ事だ。
その反面、愛することは、自分ひとりで成立する。
幸せへの鍵は、どうもここにある様なそんな気がしてならない。
それでも、私たちは愛されたいのだ。
愛されたいと願う事を、私は悪いこと、恥ずかしいことだとは思わない。
そもそも愛されているというのは
愛を受け取る側の感受性が幅を利かせていると思ったりする事がある。
どんなに相手があなたを愛していても、あなたが愛されていると感じなければ、それは愛されていないという実感になってしまう。
その逆も然りだ。
愛するという事は、あなた自身に完全なる決定権がある。
あなたが愛していると感じれば、愛していると言うことになるし、愛していないと言えば愛していない事になる。
こうして自分で文章にしながらも、私自身も頭がこんがらがりそうになってくるけど、
もはや、キツネとタヌキの追いかけっこ状態だ。
どちらの方が幸せで、どちらの方が不幸かなんて、そんなの分からない。
分かるはずない。
どちらにも確かに言えることは、それはシンプルに、"実感する事"である、ということ。
愛されることも、愛することも、
最終的に自分が決めることだ。
実在しないものに輪郭をつけていくというのは、Cosmosに想いを馳せる事と似ていて、年月を際限なく渡り歩いてゆく根気と人並外れた想像力と創造力が必要になってくるのではないだろうか。
愛という答えを求めて、アポロ11号に乗っていきたいくらいだ。
どうか私が生きているうちに、愛という惑星が見つかります様ようにと、NASAに願っておこうと思う。
冗談はこのくらいにしておいて…笑
愛されるも、愛するも、自分が決められる事とは言え、それだけではどうも確信からは程遠い、。ように感じる。
愛されるのがオンナの幸せで、愛することがオトコの幸せ。なんて誰が言い始めたのだろう。
あなたに愛されるているから、愛している。
あなたを愛するから、愛されたい。
みたいに、どちらの根底にも結局は自分が幸せになりたい。という裏テーマが南国を代表するフルーツ、ドリアンの様な強い香りを放っていたりする事もある。
だけど、それが良いとか悪いとかではなく
本当の幸せは、自分の幸せに目を眩ませず、心から相手の幸せを願えた時に訪れるんじゃないかと私は思っている。
綺麗事だと言われるかもしれないが、そう思う。
そんな愛を経験していたいし、私は今世で、先ずは愛するということを覚えていきたい。
そしたら、必ず来世で愛されることを体験できるはずだから…なんて都会に輝くネオンのような期待は一切せずに。
愛することが無ければ、愛されているという"実感"をする事は無いはずだから。
とにかく自ら放っていこう。
あなたが純粋に放った輝きは、どこかできっとキャッチされ、特別な一等星として誰かの心に名を残すんじゃないかな。
ロマンティックに恋したい。
そんな夜があってもいいよね!笑
涙さえもヒカリに変えてしまう、輝く女神たちに乾杯♡
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