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感情が100メートルくらい先を走っていて、言葉が全く追いつかない。
そんな時、言葉の代わりをしてくれる存在。
涙。
流して、流れて、洗ってくれる。
気づけばそこには、言葉なんて必要なかったんだと思わせてくれる。
すーっと心が晴れていく。

"愛しか知らない"

こんばんは!asukaです。

大人になると、泣きたい時に泣かせてくれる存在はとても貴重だったりする。
その場所がどこであろうと、誰の前であろうと関係なく、いつでもどこでも泣ける子どもの軽やかさが羨ましかったりもする。

いつからか、"泣く"と言う行為は他人に弱味を握られてしまうことだと、涙を押し殺して生きている大人は少なくない。
感情の追いつかないそれに、勝ちとか負けとかいう勝敗を付けたがったりもする。

泣きたい時こそ、ポーカーフェイスを決め込んで、何も私の心には響きませんよ!とばかりにすまし顔。

そうこうしているうちに、私たち大人は涙のタイミングを逃していく。
それが、立派な大人なのだと信じて…。

だけど、残念なことに泣きたい時に泣けなかったという感情は、未消化物としてどんどん体内に蓄積され、心も身体も硬くカチカチになってしまう気がしてならない。

あらゆる感情は肉体とリンクしていて、未消化のマイナス感情は、股関節に蓄積され、過去の感情消化不良は身体の背面、特に腰などに溜まり、大人は股関節や腰が硬くなるとヨガの先生に聞いたことがある。

ふにゃふにゃと柔らかいベイビーボディに戻ってみたいものだ。

泣きたい時に、泣かせてくれる人。

あなたにはそんな存在が居ますか?

余りにも悲しく辛い出来事が重なって感情量が心臓の大きさを一瞬にして破って行った時、
私は気付けば子どもみたいに大声で泣いていた。
感情を言葉にしたいのに、全く追いつかないのだ。すると、「全てを言葉にしなくていいんだよ。」と言って泣かせてくれる人がいた。

大人だって、理由もなく泣いたっていいじゃない。

世間の決めた大人像に当てはめようとしなくていいじゃない。

泣きたい時に泣かせてくれる存在。
その内のひとりは、自分自身だ。

自分が自分を泣かせてくれたとき、
案外、一緒に泣いてくれる人は周りに沢山いるのかもしれない。

感情の追いつかない涙を、自分が自分に許可出来た時、ツタツタと流れ落ちていく涙と共に、感情が消化されていく音が聴こえた。

言葉が要らなくなったその瞬間、私は沈黙の海で愛を抱きしめた。

いつも笑っていたいと思うみたいに、いつでも泣いていいんだよ。

笑顔の奥に強さを秘めた、麗しき女神達に乾杯🍷

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