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アイの渇き。

渇いている。

胸の奥が渇いている。

それは愛を求めすぎている事に気づいた時。
ひとりの人が自分ではないヒトを愛していることに気づいたとき。余りにも眩しく感じる太陽のヒカリが心の水たまりをいつまでも乾かしてくれそうにないとき。空の青が怖いと感じるとき。
語る事なんて到底できっこない、愛とは?なんて事を一丁前に語ろうとしている時。

私は"アイの渇き"を感じる。

だから、愛についてすらすらと語っている方を目の当たりにすると、何処はかとなくやってくる違和感と、まるで満ち満ちている様な表情の奥に、その人の泉から水が減っていく音がきこえてくる。

それは、時に私自身にも当てはまる。

こんばんは。
"愛しか知らない" asukaです。

私は3週間程前、何かに導かれる様にファスティングをはじめた。

これまで、ヨガを生業とさせていただいてきた中でファスティングというものは、
10年以上前から認知しており、ファスティングの合宿にも何度か参加し、プロフェッショナルからHow toを学び体験してきた。
23歳で初めて渡印した際もアーユルヴェーダの施術の一環としてファスティングをしたという経験もある。

そもそもファスティングとは、古来から宗教的観点によって行われている断食の儀式もあれば、治療の一環として行われるもの、流行りのダイエットとして行われるもの、スピリチュアルな業と、様々だ。

これまでに私が行ったことのあるファスティングは、特に"体内の酵素"に着目した方法を経験していたが、
(ここではインドアーユルヴェーダでの経験は置いておく。かなりの別物なので。)

個人的な意見としては、継続的な身体的効果というものやマインドの部分での気づき。みたいなものは薄かったように感じている。
それはまるで一種の洗脳というか、右ならえ右!的な余りにも抽象的な言葉を誰かに言わされている様な感じもした。
(短期的な効果:例えば数キロ体重が減るとかなんとなく頭がスッキリするとか。は感じられた)

今私が取り入れているファスティングは、インスリンというホルモンに着目した方法を学び、実践している。
これが、驚くほどに今の自分自身の心身にマッチしていると感じているのだ。
多分…笑

というファスティングの云々はそろそろ良いとして、今回、私はファスティングの方法を羅列し、皆さんに断食をオススメするといった事をしたい訳では全くない。


1週目、4日間ファスティングをした。
ファスティングって究極のECOだって気づいた!ファスティングって愛!って感じた。

そんな綺麗事の様な美しく捉えられる深層の様で表層部分の気づきの先に(否定はしていない)
ファスティングを始めて2週目の途中、強烈なメッセージが私の元に降りてきたのだ。

それは、
私のカラダの中に巡る水。
細部まで張り巡らされた血液。
細胞、思考、マインド。
肉の塊のなかに、潜む様に住みついていた

"貪る心" だった。

それは愛を畏れているみたいに怯えていた。まさか、でも確かにそこに居た。

まるで、暗闇の中で鳴いている迷子になっていた黒猫ちゃんを見つけだし、抱きしめてあげられた時の様な不思議な安堵感があった。

そして暗闇で隠れていたそのまさかの存在にヒカリが差し込んだ途端、理解した。

紛れもなくこれが、心を枯渇させていく原因だと。

私は実は渇いていたんだ。


ようやく深部の乾燥とその原因に気づけた気がした。

すると何故だか、自分に媚びる為に淹れた優しいカモミールティが、喉を撫でるように通過して胃の中に降りていくみたいに凄く温かくなって、「ありがとう」と一言溢した。

危ない!危ない。
私はまた、大切な事を見失なってしまうところだったじゃないか。

貪欲は、悪ではない。
誰もが持ち合わせている欲だと思う。
貪欲は、気づけばモノを、環境を、ひとりの人や周りの人々を、貪る。
無意識のうちに貪っている事が当たり前になって、貪っていることすら忘れてしまう。

それは、正にアイの渇きだと私は思うのだ。

例えるなら、大切な人に嘘をついてしまった時、初めのうちは胸にチクリと刺さるものを感じたのに、ひとつの嘘をきっかけに、嘘も重ねていけば、それさえも正義なんじゃないかと胸の痛みを忘れさせ、自分を正当化してしまうような。

語る事なんて出来ない、触れることなんてできない、それが何なのかなんて分からない、正体不明の愛。

ただある事だけは瞬間的にわかる。

空の青が優しく瞳に映って深呼吸をしたとき。
特別な人とキスをしたいと思ったとき。
ビーチでゴミを拾って地球を好きになったとき。
宇宙に夢を放ったとき。

その瞬間、確かにある。持続性のある、でも持続性の極端に薄く感じる強烈なモノ。(愛)

貪る心は自分が今ここに存在していることそのものが、唯一忘れられる事のない愛なんだ。という宇宙の真理的な事を忘れさせてしまう様に感じる。

持てないほどに
必要以上に
あればあるだけ欲しくなる。
有り余る程に保有し、本来であれば腹八分目を十に越して、重たい荷物を自分自身の潤いだと勘違いしている状態から抜け出せない。

求めなくても必要な分が既に"在る"という事を忘れて




日々の中でそんな大切な事を見落としたり、拾ったりしながら、ファスティングで僅かながら透き通った湖に還ってきたにも関わらず、
それでも私はキミの中を泳いでみたいと願っている。

そんな自分が笑えるほどに醜い。
醜くて女らしい。人間らしい。

貪る心は悪ではない。
誰もが持ち合わせている欲だと思う。
例外はなく、私の中にもあなたの中にもある。
それを認められたとき、しゃんと此処に自分が居て、私は私の内側に潤いを感じた。

さぁ。自分の醜さにグサッと心を刺されても、冬のお肌の乾燥だけは防ぎたい。
自分に手をかけてあげる行為はセックス以上にセックスだと思うから。
(また、表現の粗さはお許しを。)

濃密な美容液をskin careに足すのも良し。
温めたセサミオイルでボディマッサージも良し。内からも外からも潤いを♡

今日例えどんな事があったとしても、貴方はきっと美しい。

愛の女神たちに乾杯!

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