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クリスタル炙って逃す死の従兄弟

ぽっぽの元彼はとても良いやつで、優しいけどたまに酔っ払ってタクシーの運転手をボコボコにしちゃうような子でした。

一緒に宮益坂してた時も早い段階で辞めてたし、その後は彼の繊細な感度はカメラマンとして機能していた。

しばらくは私のギターの師匠のユウスケさんの家でバッズの取り分けを行ったり、ヘブンシャルバーンってバンドがヤバイって話をして盛り上がっていた。

初めて一緒にグミを食べたのも彼とユウスケさんとだったし、夜中に散歩して街路樹の植物がほんとに生きてると三人でゲラゲラ笑ってたのが懐かしい。

「カメラマンなんて食えないし、フリーランスは税金の申請が面倒でやってられない」と言いながら、新車で買った軽自動車のローンを残して辞めてしまった。

その後は共通の知り合いの彫り師のツテで渋谷にある事務所で働き出した。

そこは孫正義の日本庭園をプロデュースしたりとかなりイケイケで、今度HAVEAGOODTIMEってのが恵比寿でお店を出すから工事をやるだよと。

人手が足りないので私も手伝うことになったけど、その段取りはかなりグダグダだったのを覚えている。

それもそのはず、工事の一切をLSDでぐしゃぐしゃのやつが仕切っていたため誰が何をやるのかわからずに、資材も揃わない中でなんとなく大工さんが指揮をとって行われていたからだ。

私は武蔵浦和からハイエースを借りて現場まで行ったものの、なんかよくわからないけどとりあえずこれを積んで事務所まで持ってってなんて事をやっていた。

作業は夜行えず、とりあえず一旦事務所でしゃぶしゃぶなんだけど一緒にどう?なんて言われたけれど、はじめましてでやるにはどうにも勘繰るから遠慮したのでした。

それからそこは国税が入って、口座を止められたために給料の未払いがあったりでめちゃくちゃ大変だった。

彼はそんな中で何日も寝てないためにぶっ倒れて救急車で運ばれた。

それで身体から色々出てきたために何日か社会的に謹慎していたので、次に会った時は季節がひとつスキップしていたのでした。

仕事はビシッとかっこいいことをしつつ、カッコ良さを維持するためにはかっこいいインプットを怠ることはできず、眠る時間を惜しんで一生懸命だったようだ。

そのためには炙って自分をトコトンまで追い詰めなければならない。

追い詰めた先にかっこいいものが待っているし、社会もそれを求めている。

疲労をポンと取るには並々ならぬ胆力が必要なのです。

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