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言葉の意味から学び直すヨーガスートラ講座

10/1から始まった「魂の光」第二の書の講座の初めに「煩悩」とは何か?という問いが先生から出されて、受講者各自が答えました。

「あらゆる欲望」、「欲求への執着」、「未熟であること」など色々回答が出ましたが、「煩悩」とは「無知」でいることだと学びました。

国語辞典には“心身を悩ますいっさいの欲望”とありますが、これは大衆的な意味であり、ヨーガスートラのような智慧の本を読むときには一つ一つの言葉の意味を意識して読む必要があります。

「無知」とは一般的には知識がないことを意味しますが、この場合は本当の自分が魂であることを知らずに自分の人格(思考、感情、体)を本当の自分であると錯覚してしまっていることを意味します。

「煩悩」つまり、全ての煩わしさ、全ての悩みは「無知」でいることによって引き起こされているとも言えます。

どのようにすれば、自分は魂であることを思い出し、ただの理論ではなく脳で認識できるようになるのかもヨーガ・スートラに書かれています。

そのための準備の一つとして「イシュワラへの献身」、別のヨーガ・スートラには「イシュワラへの祈念」というのがあります。

特定の個人(聖者や師)に従僕的に仕えたり、神仏にお祈りをしたり、貢ぎ物を捧げたりすることかと思ってしまうのですが、この場合も全く意味が異なります。

イシュワラとは魂のことで、献身とは人格(思考・感情・体)を魂の道具として使うということを意味します。(別の言い方をすると、思考・感情・体を魂に仕えさせることとも言えます)

言葉の意味を自分の知っている意味(記憶)で捉えてしまうと、全く的外れな理解になってしまいます。

一つ一つの言葉の意味をより意識しながら読む。
ヨーガスートラを読む時はそういう読み方が必要です。

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