見出し画像

大学を卒業した

私は大学を卒業した。

人生の節目を迎え、私はひとつ大人になる。

最近かなり暖かくなった。

桜の花が私を4月ムードに連れて行ってしまうまであと何日何時間何分何秒残されているのだろう。

幸い今日は肌寒い。大丈夫、まだ3月が仕事をしてくれている。

あと少しだけ私は学生でいられるみたいなので書類の代わりにアルバムを開いて少し変わった私の高校時代・大学時代の思い出を振り返ってみようと思う。

熱いココアにマシュマロを浮かべたから準備は万端だ。

ココアが熱い間だけ過去にタイムスリップしてnoteを完成させよう

ーーーーー

“賽は投げられた”

これは高校3年生の時のクラススローガンだ。

一度決心したら最後までそれをやり抜け、という意味らしい。

私の高校時代はまさにこの言葉どおりだったと思う

私の高校はめっちゃやばい高校だった。死ぬほど最高な学校だった。

生徒が勝手に決めた学年ソングはmaroon5のsuger。

2年生の時はプレプロム、卒業時にはプロムがあって大きな会場を貸し切って正装で参加する。

誰かがギターをもって壇上にあがるとそこにみんなが集まりsugarを歌う。

その時点で最高にやばい。

世界史の授業はドレッドヘアで世界を旅した元旅人の先生が黒板に大きな世界地図を書いて教えてくれた。英語の授業はほとんどがプレゼンとディスカッション、家庭科の授業ではフィリピンのティータイムを再現したりした。

私が通っていた高校には他人を笑う人は誰もいなかった。常にワクワクする事にアンテナを張ってセンサーが反応したら即行動。みんな”生きている動物”だったんだと思う。

私も漫才からWHO主催のとあるサミットのプレゼンまで、心が反応したことは全部やった。

頭と心が手を繋いでいる状態ってこういうことか、と今になって思う。

その環境が今の私のベースを形成してくれたことは間違いない。

ーーーーー

大学生活もまた、結構なカオスだった。

フィリピンのNPO法人でインターンシップをさせてもらった時はいろいろあってジープニー(現地のバスのようなもの)から落っこちてしまった。あの交通量で死ななかったことは完全に奇跡だ。生まれてはじめて“助けて~~~~”と大きな声で叫んだがタガログ語がメインの国では意味のない雄叫びになった。

ヒッチハイクで千葉まで行ったときは宗教勧誘の車に乗ってしまって囚人パレードなるものに連れていかれそうになった。結構怖かったのでおそらく一生ヒッチハイクはしないと思う。でも“囚人パレードってなんですか?”くらい聞けばよかったと後悔している。囚人パレードってなんですか?

超スパルタの自転車合宿に参加した時は何度転んだか見当もつかない。とりあえず良く分からないけど自転車をこぎ続けたら合宿が終わっていた。“気合が足りてないねん!!!根性見せろ!!!”という言葉は一生分聞いたので一生言わないでほしい。

タイに研修に行ったとき初めてタイ古式マッサージに行った。隣で友人が振り回されている光景を見て爆笑してしまった。それにつられて友人も笑い、マッサージ師も笑っていた。笑いは言語の壁を超える。タイ式マッサージ屋さんでそれを実感した。

ダブルディグリーを取るために必死で勉強したこともあった。何とか試験に合格したけど授業に全くついていけなかった。ほとんどがオールイングリッシュでディスカッションメインの授業だったからだ。途中からコロナの影響でオンライン授業に切り替わって私は“Wi-Fiを切る”という技を習得した。

効果音しか使わない先生による能楽の授業やボルダリングの授業もなかなか興味深かったけど最も面白かったのは哲学の授業だ。“椅子は帽子だ”と言い切った先生は授業中ずっと椅子をかぶっていた。人間は寝る生き物だと言って教壇に寝そべって授業していたこともある。でも学生が寝たらめっちゃ怒っていた。

私は世界の教育に興味があったのでそれを学べるゼミに入った。でもなぜか気が付いたら山奥の土地を開拓して畑を作っていた。教授の興味が教育から畑に変わったらしい。その活動で出会ったおば様の一人がかなり曲者で友人が体の不調を相談したら“町医者のよっちゃん”を紹介されていた。医師免許を持っていない“ただのよっちゃん”だという事が分かったのは少し後の事だ。

大学とは別でプログラミングの学校にも通っていた。卒業制作でホームページを作らなければならなかったので私は防弾少年団の紹介HPを作成した。みんなの発表を聞きながら、そのHPは自分の紹介でなければならなかったという事実を知ることになる。たまげた。

ーーーーー

私は大学を卒業した。

片道2時間かけて通った大好きな場所

思い出がたくさん詰まった私たちの大切な故郷

なんで彼氏できひんねんやろー!って笑いながら散歩した鴨川の河川敷

恋人ができた時は食堂でビビンバを食べながら友人に報告した

試験前はパウダールームに引きこもったね

紅葉の季節は学校の隣にある京都御所でピクニックをした

冬は雪が積もる神社でお地蔵さんを探した

深夜3時に盛り上がる心斎橋

タバコと香水の匂いが混ざったクラブ

レッドブルウォッカで乾杯した日

朝方の駅のホーム

新しい世界を知ったのも大学時代だった。

いつでも大好きだよって言ってくれた親友の存在がありがたかった

ーーーーー

突然だが、親友が教えてくれた竹の話をしたい

たくさん節目がある竹は強い。
強い風にも激しい雨にも負けない。しなやかに体を曲げた後、何事もなかったかのように元いた場所に戻るらしい。
節目が少ないとすぐにぽっきり折れてしまうという。

それは私たちも一緒なのかもしれない。

たくさんの節目を経験して強くしなやかになっていく。

大学卒業、なんで恐ろしいんだ。

本当は未来が怖い。めっちゃくちゃ怖い。

でも大丈夫

卒業という大きな節目を迎えた私は強くなっているはずだから。

この先どんな節目が来ても、手を大きく広げてwelcomeって叫ぼうと思う

そしてひとつ強くなった私たちに乾杯しよう

賽は投げられた

強くしなやかになった自分を信じて一生懸命生きてみよう

ーーーーー

あーあ、ココアが冷めてしまった。

でも私は2022/03/22に戻らなければならない

楽しかったな〜私の学生生活

おしまい








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?