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ロゴスとピュシスと夏の夜

ピッコロというアイスティーを飲んだ。

私はアイスティーが好きだ。
四季の中で夏が一番好きなんだけどその理由の一つはアイスティーを美味しく飲める季節だからだ。

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「夏は夜 月のころはさらなり」

清少納言は蛍が光っている夜に趣を感じたようだが、
私は花火大会の後、混雑する駅を背にのんびり歩いて家に向かう時間に趣を感じる。

その時間のために私は紺のワンピースと歩きやすいサンダルで来たんだ。
音がしない工事現場の横を歩く。
歩道が狭く車との距離が近い。
その先の曲がり角を超えたところにセブンイレブンがあることは知っている。

よっしゃアイスを食べるぞ~~~!!!

夏の夜と言えばスイカバーかガリガリ君かパピコだ。
でも私はピノを食べる。
だってピノが食べたいんだもん!!!!!!

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私は沢山の音が聞こえる夏の夜が大好きだ。
夏の音に包まれていると自分も自然の一部になった気になる。
自然の一部になった自分はなぜか何よりも自由な存在に感じる。
だから夜中でも平気でアイスを食べちゃう。

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つい先日、坂本龍一さんと福岡伸一さんの対話が収録された
「音楽と生命」という本を読んだ。

お二人は「人間が作り上げた人工的な物(ロゴス)」と「自然(ピュシス)」について話していた。

人間はどうしても物事に再現性を見出し方程式を作り、
すべての物事を管理したい生き物なんだなあと思った。

「不思議だねえ、綺麗だねえ」ですますことが出来ないみたい。
夜空に広がる星に名前を付けて勝手に結び、星座を作る。
マウスの細胞をすり潰して一つ一つの役割を見つける。
音にも名前を付けて楽譜を作る。
「こうだからこう!」という確信というか根拠というか、、、
そういうものがないと不安になってしまう。

再現性がない、または理由を説明できない事象がオカルトやスピリチュアルのカテゴリーにいれられて区別されるのは、ロゴス化されていないものに対して働く人間の防衛本能からなのかもしれない。

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私は漠然と将来に対する不安に飲み込まれそうになる時がある。

それは私にはまだ人生の楽譜がないからだと思う。
自分の人生がロゴス化されていないからだと思う。

大きな夢を持つ人はそれを目指して音符をたどる。
人生設計がしっかりできている人も然り。
楽譜を書き終えた友人は人生に迷いがない気がして眩しい。

でも本当は誰にも人生の楽譜なんてなくて、
ロゴス化された人生なんて存在しなくて、
ただ「そう見える」だけなんじゃないかな。

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全ての人間の人生は確実にピュシスだと思う。

明日死ぬかもしれないし
明後日推しから連絡が来るかもしれない。
今週末にはウエディングドレスに袖を通して一丁前にもマリッジブルーになっているかもしれない(!?!?)

だから無理に人生の楽譜を書こうとする必要はなくて、
将来が分からないことに不安を感じる必要もない。

不安で不安で眠れない夜は
「人間って何にでも確信を持ちたい生き物だもんね、
分からないことに不安を感じるのは当たり前だよね」
と自分に語り掛けて好きな音楽を聴きながら時間をつぶせばいい。

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生物学者兼登山家の今西錦司さんは
「なぜ山を登るのか」という問いに対してこう答えたらしい。

「山に登るとその頂上からしか見えない景色があって、そこに、次の山が見える。だからまたその山を登りたくなるということを繰り返しながら、自分は直線的でなくてジグザグに進んできた。」

「音楽と生命」より

人生に楽譜はないけれど、
その都度自分の使命やささいな“やりたいこと”を見つけて、
それに向かって歩いてみて、
その道中素敵な景色を見て
考えが変わったらまた新たな一歩を踏み出せばいい。

ロゴス化できない人生だから、
ジグザグ進んだらいいんじゃないかなあ。

おしまい




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