小学校給食の完食指導はなくなった?
小学校の給食には、苦い思い出がある。
わたしが、小学校3年生の時のことである。
横浜市金沢区のとある公立小学校に通っていた。
体が小さかったわたしは、給食が完食できない日があった。当時担任だった先生(女性)が、とても厳しく、残すことは絶対に許してもらえなかった。
食べ残しがあると、給食後に続く掃除の時間もみんなが遊ぶ休み時間も、ずっと座らされた。全部食べきるまで、席を立たせてもらえなかった。
掃除の時間では、机を教室の後ろの方に全部寄せている。つまり、わたしは、寄せられた机に挟まれるように、椅子にじっと座り、先生の罵声に耐えていた。
昭和61年、昭和の終わり頃のはなし。体罰もある時代。こんな先生も世の中容認していた時代だった。今では間違いなく保護者から訴えられるだろう。
わたしは、給食の時間がたまらなく嫌になり、給食の時間が近づくだけで、泣きそうだった。学校に行くのも辛い日もあった。
さいわい、この先生は2学期に産休に入った。代わりにきた先生は、とっても優しい先生で、恐怖生活からは解放され、とてもホッとした記憶がある。なぜか、給食も食べられるようになっていた気がする。
きっと、精神的なものもあったのかもしれない。あのまま、同じ先生が続いていたら、私はどうなっていたのか。
この苦い経験は、大人になった今思い出しても、胸がいたむ。
* * *
小2の次女との、何気ない会話では、給食のことも話題に上がる。
だいたい全部食べているようだが、時どき少し残した、という話を聞く。
「え?残してもいいの?」
「うん。大丈夫だよ。」
「はじめから、量をへらしてもいいの。」
「そうなんだね。」
なんていい時代になったのだろう。
最近は、◯◯アレルギーのこともあるし、決して無理強いはしないみたいだ。「みんなが同じ量を全部食べなければいけない」ということも強要しない。
もちろん、「全部残さず食べる」ということは作ってくれた方への感謝をあらわし、偏食をなくすという指導にもなる。
それ以上に、子どもの成長や体質に合わせることを大切にしていて、食事を楽しもう、という食育も進んできたことなのだろう。
わたしの経験から、「食べられない→怒られる」という回路が頭の中に出来上がってしまうと、「楽しい食事」にはまったく結びつかない。
全部食べられた日が、楽しい給食時間だったかというと、単に「恐怖から逃れられた時間」となるだけだった。
* * *
この完食指導は、昭和特有の文化だったのだろうか。
「出る杭は打たれる」
みんなが同じことをおこない、そこからはみ出たものは叩かれる。
透明であることが求められた時代。
1977年生まれのわたしは、ほぼ団塊ジュニア世代。子どもも多く、型にはめて指導しないと回らなかったのだろう。
子どもひとりひとりの特性には、とうてい向き合えない。
とにかく多いのだから。
こんな風潮から、「みんなが同じ量の給食を全部食べるべき」という完食指導が、行われていたのだろうか。
* * *
子どもが通う小学校や、知り合いの小学校の様子からは、完食指導は無くなったと感じている。
果たして、全国的に、給食の完食指導はなくなったのだろうか。
インターネットでざっと調べてみたが、出てきた記事に目を通すと、なくなったわけではなさそうだった。わたしのような経験を今もしているという記事も見かけた。
統計データがあるわけでもなく、確かなことはまったくいえないが、「完食指導がなくなったわけではない」ということは読みとれた。
わたしは、昭和特有の文化だったとも考えていたが、令和の今も、学校によっては?教員によっては?存在しているのかもしれない。
行き過ぎた完食指導はまったくいいことがない、ということを、わたしは身をもって体験している。
子どもの心の成長にも、体の成長にも、「給食の時間」が恐怖の時間であってはならない。
給食大好きおかわり毎日!のような子どもが、大多数だとは思うが、ごく一部の子どもにとっては、大きな問題になる考え方だと、わたしは思う。
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