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郷里を去ることに思う

人生で二回しかお墓参りに行ったことがない

一度目は父の父が亡くなった時に
先に亡くなっていた父の母のお参りへ
父の父のことも
父の母のことも
ほぼ知らない

二度目は私が懇願して
母の祖母のお墓へ高校生の夏に
海が見える高台でハヤさんの話しを聴いた
大好きなおばあちゃんはそのお墓に居ないが
おばあちゃんを思いながらお線香の香りに包まれた


大人になって
ふとご先祖さまを思い
戸籍謄本を辿れるだけ辿った

父方は長野県で五代前まで
母方は福島県で八代前まで


大好きなおばあちゃんのお墓を
出家した従兄弟が縁もゆかりも無い遠い総本山に購入し
「おばあちゃんの育った福島を歩いた
いいところだった。いつか行くといい」
そう言われたのが何年前だろう

伯母ちゃんが亡くなった年で
あの時は喪服を黒のスーツで誤魔化したんだった
従兄弟は修行中の身でメールだけもらったんだった


長野は幼い頃に何度か訪れることが出来た
父が夏休みの行き先にいつも長野を選んだからだ

福島はいつか猫ちゃんを見送ったら訪れようと思っていた
二本松

戸籍謄本を読み解き
手書きで書いた家系図
生年と没年を入れ
時々眺めていた

そのすぐ後に福島の大震災があった

当時は珍しくテレビを繋いでいて
ひたすら流れる映像に言葉が出なかった


ハヤさんもおばあちゃんも育った福島
母も母の父が亡くなった後に一時期福島に居た
母から聴いた事はないが
母が一番お世話になった方曰く
代々続く豪農だったそうだ

道理で機嫌の悪い母が父を
足軽小物よと小馬鹿にした理由が分かった
意味が分からなかったがとても嫌な気持ちになった

母のおじが市議選に出る時に
チラシ配りとうぐいす嬢をやったと聴いた事はあった
一度も訪れた事はないが
心の中でいつか訪れたい場所一位

その地が何もかも海に持って行かれてしまった
古い住所から場所は特定していないが
八代前まで全て二本松市に保存されていた
電子化の前で全て手書きの謄本

私の父も母も長男長女ではない


本家を継ぐ年上の男性と話す機会があった

六畳一間が全て
家系図や位牌や写真で埋まっているらしい
管理が大変なんだとこぼしていた


だが
それらを
もし
災害や人災で奪われたら?

代々続く土地を離れろだなんて
とてもじゃないけど軽々しく言えない

荒地に立つ二本松を見て
あぁ福島へ訪れる理由を奪われてしまった
あの時の気持ちが今やっと分かる
泣きたいけど泣けない泣いたらいけない様な気持ち

偶然お買い物先で福島出身の方に会ったことがある
美味しい梅干しが手に入らないと
家では自分で作っていたが東京では干す場所がないと
本当は紫の入った梅干しがいいのだけれど無いから
せめて梅と塩だけの本物の梅干しをと白梅干しを購入されていた

同じ品を持ち会計を待ちながら
店主と話す会話を漏れ聞き
胸が押し潰されそうだった
離れ去るをえない状況
それは原発だろう

私は育った土地を歩くと風が胸に穴を開け通り抜ける様で
近付かない
五歳まで住んだ土地の傍に来てとても落ち着く様になった

もし災害で建物が倒壊したら
薬を探し出して避難所に行かないと決めている
建物が倒壊しなければ室内で避難生活をすると決めている



石川県は大好きで三度旅行へ行っている
大事なお椀もお重も輪島塗りだ
海の幸も山の幸も美味しい
ノドグロに加賀野菜
漫画「スキップとローファー」切っ掛けで
ゆっくり能登半島も巡りたいと思っていた


地形が変わり
建屋は崩れ埋もれ流され
同じ様にと行かなくても
戻りたい地元の方々が
もう一度地元に帰れることを願ってやまない

離れたかった方々は
辛い切っ掛けと言えど離れられることを願ってやまない


厳しい寒さの中
少しでも暖かく過ごせます様に

心無いひとに惑わされ
親と子が離れ離れにされません様に

離れ離れの方々が会えます様に

………



急啓 服部惣左衛門様以前以後の御先祖様一同

取り急ぎお願い申し上げます
いつぞやもお祈り賜うた末裔のひとりです
どうかどうか石川県の方々も御守りください

草々

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