追い風は感じにくい、でもたしかに吹いている

家から少し離れたショッピングセンターに行くときに、いつも自転車で通る道があります。そこは道幅も広く、周りがなにもないだだっぴろい平野なので、走っていて気持ちいい反面、風の影響をもろに受けます。

つらいのは帰り道で、体感でいうと普通の1/2くらいしかスピードを出せないような強風にあおられつつ、いつもウンウン言いながら帰路につくのです。

ということは反対に、行きは追い風でスピードアップしているはずなのですが、不思議なことにそれは感じにくい。確かに速度は上がっていても、「気づいたら速くこいでた」というくらい、追い風ってわかりにくいんだと毎回思っています。

おおげさなことを言うようですが、ぼくはこの道を通るときにいつも「人生も同じなのかなぁ」と考えたりします。逆境や困難はとても感じやすく、くじけそうになるときもあります。それらは実体以上に重く・大きく感じられ、精神をくだこうとしてくるでしょう。

反対に、調子のいいときや波に乗っているという状態は、あんがい感じにくいのかもしれません。プロジェクトが目標達成したときや運命の出会いがあったときなど、わかりやすい好転の兆しはあるかもしれませんが、往々にしてそれらは”点”として捉えられやすく、苦しみに比べて持続しにくいものだと思います。

なのでぼくはいつも、自分の周りで起きている良さそうなことを探そうとしています。それらは小さくて、意識しないと見当たらないかもしれません。でも、なにか1つでもうまくいっていることを知れたことで、きっと元気も出るし、見えやすい、他のうまくいってないことにも立ち向かえている気がするのです。

ぼくが通る自転車道には、追い風と向かい風が等しく存在しています。通る方向によっては逆境となり味方となり、それらの総量は等しい。向かい風を感じたあとにはかならずその分だけ追い風がくるわけで、安心してればいいのだと気付いたのです。

だれにだって良いときと悪いときはある。ほんとうにありふれた当たり前のことですが、やっぱり自然も同じなんだ、心配することはない。と思いました。

山脇、毎日。