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BONという役割

僕らにとって5年ぶりの新しい施設になる「DENIM HOUSE BON」。築90年以上の古民家を改装してつくった、1日1組のための“泊まれるデニム屋”。構想から1年半。ついに完成するこの宿を前に、BONにまつわるいくつかの思い出を、しばらく時間をかけて振り返ろうと思う。

長かったのか、あっという間だったのか。それまでデニムブランド1本だった僕らが宿泊施設「DENIM HOSTEL float」を2019年に開いてから、もうすぐ4年半が経とうとしている。

さらにはここ2年で飲食の「pile」、サウナの「fuu sauna」と活動の軸が広がり、会社としてメンバー一体となって取り組むことがほとんどになった。

今まで行ってきたこと、今行っていることはすべて繋がった思いの元にあって、関連性の無いことはやっていないという自覚はある。

何か新しいことを始める際、必ず

「それはこれまで通ってきた道の先にあることなのか」
「"自分たち"がやる必要があることなのか」

考えて決断をしてきた。一貫性はITONAMIの誇りだと僕は考えている。

ただ、活動の1つ1つに個別のコンセプトはあるものの、それぞれを繋ぐ言葉や、相対的な立ち位置を適切に言語化できているかと言われたら、不十分だったように思う。

BONが始まるにあたって手がける拠点が複数になることもあり、このタイミングでしっかりと言葉にしていかねばという気持ちになり、過去の自分の言葉をいろいろ掘り起こしている中で、会社の公式サイトにある下記の文章を読み返した。

人・モノ・情報が国を超えて飛び交い、世界中にいくつもの大きなネットワークができたことで、私たちはますます身近な暮らしの中での実感を失いつつあります。市場経済において、たいていのことはサービス化され、日々の消費はいつも、顔の見えない遠くのどなたか任せで成り立っており、何一つ自分一人で完結する物事がありません。

好き嫌いの感情も、損得の勘定も、他人の基準で決めてしまえる過便利なこの世の中で、だからこそ逆に、自分の物差しを持つこと。
流行りの考えじゃなくても、流行りのアイテムじゃなくても、周りがなんと言っても自分はこれを大事にしたいんだというもの。
僕らなりに言えば「自分にとってだけ、大切な一着」をしっかりと持つこと。そんな奇跡のお守りのようなものを身と心に携えることができれば、俯瞰と不感が蔓延するこの社会で確かな実感を取り戻せると信じています。

「Live with will.」の精神で、ITONAMIという活動を通じて1人1人の実感を育んでいきたいと思います。

書いたのは数年前で、今読み返すと堅苦しい印象も受けるが、それでも、ITONAMIの考えていること、大切にしたいことを上手く表現できているように思う。

これを受けて、株式会社ITONAMIにとってのDENIM HOUSE BONを考えてみる。家という形だからこそ、つくれる空気、行き届く意志。集まったみんなで囲む大切な時間を過ごして欲しいという願い。そのために僕らができること。

BONは現時点でのITONAMIの結晶であり、挑戦であり、願いである。豊かな時間を分かち合える仲間という存在は、自分が自分でいられる貴重なかけがえのないものだ。

損得勘定の外にある、自分にとって、大切な人との関係性。それを本当に大切にしてほしいし、大切だということを実感できるために、BONが役に立てば嬉しい。

場所が言葉を纏うと、どうしても重くなるけれど、でも、言葉にすることで、見えなかったものが見えるようになる、気づけなかった気持ちに気づくことができる。だから、BONに対してはまだ語っていたい。

僕も言葉にすることで、この生まれたての場所を、もっともっと大切に想うことができる。

続く。