積極的にかかわりあいながら孤立する

”むきあう”という言葉には、「向き合う」だけでなく「剥き合う」という意味があると思います。相手に正面から向き合うだけでなく、互いを尊重した上で本心や本意を引き出すため、傷つけないように心の殻を慎重に剥き合う。それでこそ、真の意味で「むきあえた」と言えるのではないかと考えています。

ぼくは小さいころから決して人見知りではなく、むしろ社交的な方だったと自分では思っています。ただ、「むきあう」のがほんとうに苦手で、いつも上っ面の会話で済ませてばっかりいました。

その場かぎりの楽しさを何よりも重視し、相手の内面に深く立ち入ろうとすることを何よりも避けていました。相手が自分の心の闇を出そうものなら、ときには嫌な顔さえ見せていました。

その結果、20年以上生きてきてなにが起きたか。ぼくは、誰からも嫌われず、誰からも相談されることがなくなりました。みずから「軽薄な奴」というレッテルを貼った結果、みんながぼくに見せる一面は、その人にとって上っ面のものばかりになっていました。そのことに気づいたのはずいぶん後になってからです。

知ってる人のことをほんとうはなにも知らなかったことに気づく。その繰り返しでぼくは、とても寂しくなりました。自分が相手にとっている態度はそのまま自分に跳ね返ってくるという、ある意味当たり前のことを身をもって実感しました。そして、もう二度とそんなことはしないでおこう。と固く心に誓いました。

心に誓ったのはいいものの、いままでろくに「むきあいかた」を学んでこなかったぼくは、どのようにしたらいいのかわかりませんでした。そこでまずは、自分で自分の殻を剥いてみることにしたのです。いま更新しているこのブログもそのような想いから始まっています。

簡単に自分の内面をさらけ出すという行為は、危険なことでもあるというのは承知しています。テキストというメディアは誤解を生みやすいですし、人のイメージを一面的なものにしがちです。

ただ、他者と「むきあえない」不器用な自分にとって、これがいま取りうるベターな方法であると信じていますし、もちろんリアルな場でも努力は続けていきます。

もう二度と「積極的にかかわりあいながら孤立する」ことのないように、傷つきながらも誰かの役に立つ人間になれたらと思っています。

山脇、毎日。