余韻が残らなければ次はない

池袋から西武池袋線で一駅、「椎名町」に先日はじめて行ってきました。所用を終えたあと、駅前の立ち食いうどん屋で肉キャベツうどんを食べたのですが、これが今まで食べたことがなかった新しい味でおいしく、食後のなんともいえない余韻が今でも忘れられません。

食後感に中毒性を感じたといえばいいのでしょうか、また椎名町に行ったときはぜひ食べたいと思わされました。


余韻は日常のアクセント

おいしかったごはんにしても、感動した映画にしても、五感で体験したことにかんしては、余韻が残らなければ記憶には留まりません。

余韻というのは不思議なもので、頭の中で完全に思い出せなくても、なにかそれを体験したときの衝撃だったり幸福だったり、強くおぼえた感情がなんとなく自分の中に残っていて、また体験したいと思わせてくれるものだと思っています。

一方でぼくたちは、日々の食事や生活の中で、常に余韻の残るような体験をできるわけではありません。むしろ、なんとなくやり過ごしている日常があるからこそ、こういった特別な余韻が際立って感じられるのであり、すてきな気分になれるのです。

あくまでも日常のアクセントとして、はかなさとせつなさを併せもって余韻は訪れるのだと感じています。


価値についての考え方

ぼくがこの余韻を感じられたのは、まぎれもなく、店主が作り出したうどんの味(うどん屋さんは一人で切り盛りされていました)や、お店の雰囲気のおかげです。そしてお客さんに対してこういった余韻を感じさせられるかどうかが、なにかをつくる人にとってとても大切なことだと思うのです。

刹那的には満たされても、あとにはなにも残らないものだったり、浪費することを助長してしまうものだったり、そういったものもこの世の中には必要だと思うのですが、少なくともぼくはそういう価値の提供はしたくないなと。うどんをすすりながら考えたのでした。


余韻が残らなければ次はない

EVERY DENIMの商品を手にとってくださるみなさんが、どうすれば永く愛用していただけるか、余韻の残るような購入体験をしていただけるか、毎日試行錯誤しています。

けっしてわかりやすい、華美な装飾のついた経験は提供できません。でも、じーんと染み渡るような余韻を感じ、価値を見出してもらえるようなブランドになりたいと思っています。

そして、それができなければ次はないと、自分に言い聞かせています。

山脇、毎日。