奇を照らったわけでもなく、気をつかったわけでもなく

長距離移動の合間を利用し、今晩は実家に帰っています。ぼくの生まれ兵庫県加古川市は、工業地帯を中心に駅周辺は神戸のベッドタウンになっています。少しずつ大きな建物は建てられているものの、基本的には、あまり代わり映えのしない街といった印象です。

そういえば今年の春に帰省した時のことを、ふと思い出しました。その時は駅から実家までタクシーに乗ったのですが、車内に乗り込み発進してすぐ、運転手さんに「お兄ちゃん、春休みけ?」と聞かれたのでした。

確かに、ちょうど学生が春休みという時期でしたし、目的地も住宅街なので仕事で行く場所ではありません。そういったことを鑑みて運転手さんは「春休みけ?」言ったのでしょう。

良くも悪くも、普段から実年齢より10歳は上に見られることが多いぼくは、学生扱いしてきた(実際学生なのですが)運転手さんの唐突な問いかけに対し、少しうろたえた覚えがあります。というより、嬉しかった。

それは、けっして若く見られて嬉しかったというわけではなく、タクシー運転手さんが、人の見た目ではなく、状況を考慮して判断を下しただろう、ということに心がワクワクしたのです。

人は誰でも限られた情報と時間の中で判断を下します。それは状況によって量が異なりますし、判断する対象にしても異なるでしょう。

今回の「タクシー内での運転手と乗客の一言目の会話」という状況における「乗客の年齢」というのは、比較的に短い時間で判断を下すはずです。

そんな中で、運転手さんがぼくの見た目にとらわれず、冷静に環境を見つめ、アグレッシブな判断を下したこと。そのこと自体にとても熱い気持ちになり、降りるまでずっとハイテンションでしゃべっていました。

この思い出話は、あくまでぼくの主観にすぎず、運転手さんには本当に学生に見られていたのかもしれません。でも、「人の一歩先(それも予期せぬケースで)の判断」が垣間見えた時、こんなにも楽しい気持ちになるんだということを、ぼくはこの体験を通じて知ることができました。

奇を照らったわけでもなく、気をつかったわけでもなく、一歩先が見えた会話。そんなささやかで素敵な出来事を、地元でできてよかったです。

山脇、毎日。