後輩を”後輩たらしめる”のは先輩なのだ

先輩や後輩に対する考え方が、少しづつはっきりしはじめています。

中・高の間は、野球部というしっかりとした体育会系の中にいたせいか、基本的に「上下関係」に体に染み付いており、「先輩は先輩であるだけで尊い」と本気で思って10代を過ごしてきました。

大学に入ってからも、高校時代までの厳格な上下関係はないにせよ、ある程度先輩-後輩を意識する生活を送る中で、つくづく「自分はなんて先輩に恵まれているんだろう」と感じていました。だれもが一度は口にするだろう「自分は”先輩タイプ”か”後輩タイプ”か」という話題については、「”後輩タイプ”かなぁ。だってこんなに先輩に良くしてもらっているんだし。」と考えていました。

「先輩タイプか後輩タイプか」といった議論は、強引に言えば「与えるか与えられるか」と置き換えられると思いますが、突き詰めればこれは、個人の資質や性格の問題であるとずっと思っていました。

タイプはそのタイプとされる人間によって規定されるものであり(つまりぼくが後輩タイプの資質があるから後輩タイプと決まる)、その属性は個人が所有する(先輩タイプもいれば後輩タイプもいて、どちらでもある人もいればどちらでない人もいる)ものだと考えていたのです。

それぞれのタイプにおいて必要とされる要素があり(たとえば、先輩であれば「懐の深さ」、後輩であれば「素直さ」など)、その要素を持ちうることによって振り分けられるのだと。

ところが最近、そうではないことがわかってきました。ぼく自身が後輩タイプとして先輩に対して素直でいられることは、ぼくの性格や力でもなんでもなく、接する先輩によって引き出されたものにすぎない。ということに気がついたのです。

言葉にしてみると当たり前かもしれませんが、これに気づいたのはぼくは大きなことだと思っています。今まで自分が先輩に対して良くしてもらえ素直な気持ちで入られたのは、なによりもその先輩がぼくに「素直でいられるように」してくれたからに他なりません。先輩-後輩という関係の中で、後輩の自分を自分のままでいさせてくれることがどれだけありがたいことか、ようやく気付けたのです。

逆もまた然りという視点で考えると、先輩が先輩たるために後輩が果たす役割というのもあるのでしょう。それは「敬意を払う」ことだったり、「憧れる」ことだったりするのかもしれません。

こう考えてみると、ほんとうに当たり前のことですが、先輩-後輩というのは、決して個人の属性のみで決まるわけではなく、互いの役割を引き立てながら形成していくものだとわかります。つまり良い先輩-後輩関係と、悪い先輩-後輩関係が存在するということです。

多くの人にとって、生きていれば先輩にも後輩にもなる場面があるでしょうから、自分が先輩なら後輩に、後輩なら先輩に対して、「相手をどう”いさせる”かは自分によって決まる」と考えるべきだと思います。

けっして、「あいつは後輩のクセに背伸びしてきやがって生意気だ」など一方的に考えてはいけないと思います。その後輩を背伸びさせ、生意気たらしめているのは、なによりも自分の先輩としての態度のせいかもしれないのですから。小さなことかもしれませんが、自戒の意を込めて、この考えを忘れないようにしたいと思います。

山脇、毎日。