人を想う気持ちが循環しやすい世の中に

【応援することについて】

ぼくの周りで、クラウドファンディングを実施する人が増えてきました。さいきん大幅な手数料引き下げを行ったCAMPFIREや最古参のREADYFOR、プロダクトに寄ったMakuakeなど(ぼく自身も昨年9月Makuakeでクラウドファンディングに挑戦しています)、プラットフォームはみなさまざまですが、総じてぼくの見る限りでは、どれも心から応援したい! と思えるものばかりです。

いくつかのプロジェクトに微力ながら支援させていただく中、やっぱりクラウドファンディングの仕組みって素敵だなぁとあらためて思います。


激励の言葉か支援金か

というのも、支援させていただいたプロジェクトの実行者は、お互い何もかもさらけ出して知り尽くしている関係というわけではなく、どちらかというと、普段のビジネスや取り組みを通じて出会った人であり、価値観を共有できているくらいの人、の方が多いからです。

ぼくは金銭をもって支援することだけが応援の形ではないと思っています。顔を合わせて激励のメッセージを送り、その人を奮い立たせることができれば、ちっぽけな支援金よりも結果的に大きな効果につながった。ということもじゅうぶん考えられるでしょう。

でも、深いつながりというわけでもなく、激励するにもどのようなメッセージを送ればよいかもわからない、伝えるためだけに時間をもらってお会いするなんてできない、という相手の場合に、金銭として支援するのはちょうどいいと思うのです。

先ほどの例のような良い意味で”ライト”な関係の人は、多かれ少なかれ誰にでもいるのではないでしょうか。そういった人を支援するためにも、また実行者側はそういった人に支援してもらうためにも、クラウドファンディングは優秀な仕組みだなぁと思うのです。


差出せるものなら

人はみんな誰かの役に立ちたいと思っているはずです。役に立ち感謝されることで得られる自己肯定感・自己満足感は、ぼくは全く否定されるべき感情ではないと思っています。

ただし、そうして人の役に立ち感謝してもらえるのは元気な人に限ります。余裕がなくいつも暗い自分でいる人に、誰かを喜ばせようなんて感情は湧いてきません。

なので人に多くのポジティブな影響を与えられる人になりたければ、まずは自分が明るい感情でいること、ニコニコできる状態でいられることを、意識的に努力しキープしなければいけないでしょう。

これは自戒の意を込めて、いつも自らに言い聞かせていることでもあります。


打算や偽善を死語にしたい

「情けは人の為ならず」ということわざにあるように、誰かに与えた恩や想いは、まわりまわっていずれは自分に返ってくるということを、人は昔から経験的に知っているのです。

ことわざになってまで語り継がれているくらいですから、多くの人がこの言葉に共感してきたという歴史があるのだと思います。

だからこそ、いまを生きる人たちが、誰かになにかをしてあげるときに見返りを期待してしまうその感情を、悪としないでほしいのです。

与えられるものがあることは、無条件に尊いことです。打算や偽善の言葉を恐れ、せっかく湧き上がってきた人のためを思う大切な気持ちを、自分で消化してしまうのはほんとうにもったいない。

人が人を想う気持ちがもっと循環しやすい世の中にしたい。という話でした。

山脇、毎日。