自殺予備軍共へ告ぐ。求刑:過去のぬくもりに甘えてろ!

一度、考えてほしいことがある。

「死にたい」

という言葉に対して、どんな場面と人が思い浮かぶだろうか?その一方で

「生きたい」

という言葉に対しては、どんな場面と人が思い浮かぶだろうか?

正反対の言葉なのに、そこに思い浮かぶ人たちはみな一様に

苦しそう

ではないだろうか?生きることは

継続

であり、死ぬことは

終止

である。正反対だ。正反対のはずなのに、一体どうして人によっては

片方は、こんなにも苦しいんだろうか?

この違いはもちろん、

生と死をどう見つめているか

からくる。死にたい人にとって生は辛いし、生きたい人とって死が辛いのは当たり前のことだろう。だがしかし、

その想いは、向き合った結果なのだろうか?

向き合って正しく見つめるためには、そのきっかけとなる出来事や人がいないと、きっと本気で向き合えない。私なんか、些細なことでも向き合うことから逃げてばかりだし。

そんなことを考えていた時にふと思い浮かんだのは、ドリアン助川原作の映画「あん」の主題歌

秦基博の「水彩の月」

である。この曲を聴いて、もう一度本気で向き合うことができているかどうかを振り返ってからでも遅くはないのかなと。



でもよ、ハッキリ言うけどお前いくつよ?全てわかったみたいな顔してっけど、お前そんなに世の中知ってるってなんで悟ってんの?明日、来月、1年後、10年後、いっくらでも先を想像できるよな?想像できるってことは、存在する可能性はあるじゃん。お前は確かにこの世に存在してきて今があるわけだけど、今まで誰かのぬくもりに甘えたことはねーの?そのチャンスは二度とねーの?なんで決めつける?

それにさ、お前の持つぬくもりが必要なやつだって、どこかにいるかもしれないのにさ、本当にいいの?

今絶望しているのは、「死にたい」ってんだからもちろんわかるよ。でもよぉ、今に至るまで

お前は最善を尽くしたのか?

尽くした結果もう先は何も想像できない、想像したくもない、頭も心も壊れてるってんなら、捨ててもいいよ。過去がお前のすべてなんだな、わかったよ。

求刑:過去のぬくもりに甘えてろ!

消えたんじゃなくて壊れてるっていうなら、治せる可能性がまだあるだろ。そもそもこうやって自殺についてあれこれ考えてるってことは、お前頭はまだ壊れてねーじゃん。

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