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悪行もいい経験

【なにごとも経験だ】
これをいうと、「悪行まじりな経験にも価値がある」などといいだすヤカラが現れる。

そんな屁理屈をぬかすヤツは「豆腐の角に頭をぶつけて来世まで寝とけばいい」と言ってやりたいところなのだが、実際のところ、そのとおりだから反応に困る。

ここからは小さな一個人の意見であると理解した上で聞いていただきたい。

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悪行もいい経験。

僕は若いうちにトガる人の姿を見ても、その者の未来が不安になることは全くない。
いや、むしろ頼もしいとも思う。

その理由は先も述べたように「学び」もまた悪くない経験になりうるからなのだけど、その前にまず、優先して取得するべき経験とは何かと考えた方がいいかもしれない。

僕は、自分が思い描く未来に対して、どれだけ重要度が高いかが、ある種の判断材料になってくるのではないかと思う。しかし、それと同時にもう一つ見るべきことは、「今しかできないか、そうでないか」だ。

もちろん「トガる」というのは歳を重ねてからでもできることではあるけど、若い時にトガるのと、歳をとって、ある程度の立場を確立させてからトガるのとでは、人生の戦略としてどちらが正しいかは言うまでもないことだ。


「お前だって言うほど歳とってないだろう」と言うツッコミは、ぐうの音も出なくなるのでやめてください。m(__)m

なるべく若いうちにトガり、痛い目にってなるべく早くに丸くなる段階に入る方が得策なのだ。

一度痛い目にあった人というのは、なにか予期せぬことが起きても、立ち止まる時間がそうでない人よりも短く、行動の選択肢が広く大胆だ。

これは、後戻りが効く若い内にどれだけ失敗をつみ、修正を繰り返したかが、その人の行動パターンを決めているのだと思う。

ちなみに僕が学生の頃は、無遅刻無欠席の大真面だった。
(真面目なんです)(๑╹ω╹๑ )

僕は決して「トガれ」と言っているのではなくて、「トガっていい」と主張している。

といっても、トガるにしてもコレだけはやってはならないことというのがある。
今更「人に迷惑をかけない」などという至極当たり前なことは言わない。
2つある。

・礼儀を守る
・死線を超えない

礼儀は必ず必要だ。
理由は、これがないと単純に干される。

自分が「この人は」と決めた者だけでいい。

その人の前では礼儀正しく、謙虚であること
これは絶対に押さえておかなくてはいけない。

次に「死線を超えるな」ということについてだ。

まず、意図なくして死んではならない。
そのためには、死ぬようなことをしてはいけない。

そして人を殺してはいけない。
社会としてのルールだとか、人としてどうだという話はしていない。

人を殺すと自分の人生が終わる。

どこぞの窓を叩き割ったり、万引きをして御用になったとしても、まだ終わりではない。

もちろん人生の難易度はめちゃくちゃ上がるとは思うけど、巻き返しはいくらでもはかれる。

後もどりができるかできないかの境界線を知り、それを超えるようなことはしてはいけない。つまり「死線」を超えてはいけない。

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スポーツ選手にとっての死戦

突然だけど、僕はスポーツが好きなので、これに真剣に打ち込む人の目線でも、この「死戦」についての話をしておこうと思う。

スポーツ選手にとっての死戦とは、もちろん「スポーツができなくなってはいけない」ということだ。

具体的には、

・スポーツができなくなるほどの大怪我をしてはいけない。
・退学になってはいけない。
・退部になってはいけない。

どれだけ大暴れしたとしても、この「死線」というものだけは絶対に超えてはいけない。

礼儀正しく、死線を超えない。

これを押さえた上でトガる。
そして数々の痛い目に合い丸くなっていく。

若者の皆さん、暴れてください。

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