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バスの中心で闘いを叫んだのけもの 〜車いすトラブルの背景考察 ②


①からの続きである。


車いすユーザー向けの補助線は引けた、では翻ってそれを受け止めている、いわゆる健常者側(あえて「いわゆる」を付ける)には、どんな補助線が必要なのだろうか。

それはひとことで言えば、「闘いの歴史」学習である。自由獲得のための

ここからの話は自分が介護福祉士養成校の講師をするようになり、教科書や参考文献を眺めるようになって、ようやく腑に落ちてきた話である。
それを知らないのも無理はないとも言えるが、さりとて無知は罪ともいう。というわけで、自分なりにそれを概観して書いてみる。


⚫︎いわゆる健常者への問い

「車いすユーザーの権利がどのような闘いから得られてきたか、知っているか?」


障害者政策はもともと血みどろの歴史から生まれた。なぜなら障害者、特に身体障害者に対する政策は戦争と直結しているからである。従軍した兵士が帰国した後だけでなく、領土が戦地になった場合は国民の多くも身体障害を持つことになる。彼らを社会から分断しないために、物理、経済的な支援が必要になったことは想像に難くない。
また映画の中で怒り狂うジョン・ランボーを見るまでもなく、PTSDや薬物中毒など、精神的な障害への支援も必要になっただろう。

知的障害はそれとは一見無縁に見えるが、ノーマライゼーションの父と呼ばれているデンマークのバンク・ミケルセンが、なぜ知的障害者のコロニー暮らしから、障害者の居住の自由の必要性を発想できたのか。
まず、それまでは、彼らは一般社会と離れたところで暮らすことが幸せだ、という考え方がコンセンサスだったからだ(そして、現代の日本では未だにそちらが多数派だろうとも思う)。
そして、学生だった頃のミケルセンがレジスタンス活動を行った結果、ナチスに捕らえられ、強制収容所の暮らしを経験したからだ。

だから戦後、彼がデンマーク社会省の公務員になったときに、強制的に集められて暮らすことの不自由さと、それらの類似に気づけたわけだ。


当たり前だが、そういった様々な問題が発生したとき、直ちにそのための施策が用意されたことはなく、そこにはまず当事者の不便や被差別がある
そして、それはえてして事件として顕在化し、社会の安定、不安解消のためにその対策が検討される、という繰り返しだったはずだ。


そんな日本での具体例として、1970年代に車いすでのバス利用に対して強硬手段を取った、青い芝の会の運動は知っておくべきだろう。

もともと1957年に養護学校の同窓生の親睦団体として発足した同会は、徐々に生活改善のための社会運動を行うようになり、1970年にはある事件に対する対応で注目される。
それは、脳性麻痺の2歳の我が子を殺めた母親の減刑を嘆願する運動に対して、その減刑感情は裏返せば障害児は殺されても仕方ない存在という前提から生まれている、その差別意識に気づいていないのかと指摘し、あえてきちんと法の下にて裁くべきだと意見書を出したことだ。

「なぜ障害者の命は最初から割引価格なんだ?」という問いである。

そのような、健常者からは厳しく見えるであろう障害者側からの視点を世の中に提示し、衝撃を与えた闘う集団としての青い芝の会が、車いすユーザーのバスへの乗車拒否が相次いだ川崎市で1976年から77年にかけて実力を行使する。
川崎バス闘争である。詳細はこちらから引用する。

 運動の舞台となった川崎市では1976(昭和51)年、運行している川崎市営バスと東急バスが、バリアフリー設備を設けるのではなく、車いすによる乗車を「規制」する方向にかじを切った。

・固定設備がない
・非常口をふさいでしまう
・降車口からの乗降はできない

などを理由に

「車いすをたたんで乗降口から乗る」
「乗車中は座席に着席し介護者を付けること」

などを車いす利用者に求めた。実質、車いす利用者を「乗車させない」規則だった。
(中略)

 しかし、問題は遅々として進まなかった。

【川崎駅前のバスターミナルでの闘い】

 この状況のなかで1977(昭和52)年4月12日、「全国青い芝の会連合会」の呼びかけで「川崎バス闘争」が始まった。

 当日13時。当事者と支援者約100人は川崎駅前のバスターミナルで一斉にバスに乗り込んだ。

「なぜ私たち脳性マヒ者はバスに乗れないのか? みなさんと同じ人間ではないのか」

と拡声器から放たれる声が響くなかで、支援者が車いすに乗った当事者たちを車いすごとバスに入れ、乗車させた。なかにはバスの前に立ちふさがる者、窓ガラスを割り、ハンドルを壊す者もいた。

 居合わせた乗客からは罵声が飛んだ。ターミナルに乗り入れていた川崎市営バス、川崎鶴見臨港バス、東急バスなど、どこの会社のバスも動けなくなった。夕方のラッシュになると、乗客のなかには当事者をバスから引きずり下ろす者も現れ、混乱はますます激しくなった。

 警察が動員され、最後の人がバスから降ろされた頃には23時を回っていた。占拠によって運休したバスは35台。約15万人の乗客に影響を与えたが、逮捕者はひとりも出なかった。

 この運動は、交通事業者に大きな衝撃を与えた。ただ、実際にバリアフリー設備が当たり前になるには長い年月を要した。

 川崎バス闘争は国会でも取り上げられる問題となったが、運輸省(現・国土交通省)は

「介護人なしの乗車は困難」

との見解を崩さなかった。

 最終的に運輸規則が改正され、支援者なしでもバスに乗れるようになったのは、1999(平成11)年。闘争から実に22年後のことだった。

https://merkmal-biz.jp/post/14345


また、当事者の方の文章があった。これは原文を読んでもらうのが良いと思う。

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2016年5月号 時代を読む79障碍者運動の1ページに残る川崎バス闘争


ひとことで言うと、過激である。学生運動の記憶がまだ微かに残るであろう1977年に、運転手が乗車拒否したバスに、支援者が車いすユーザーを車いすごと、お神輿のように運び入れたり、しまいにはガラスを割ったりトラメガでアジったり籠城したり、である。それに巻き込まれた周囲の乗客の反感も、大いに呼び起こしたことと思う。

だが、彼らはいきなりそのような行動を起こしたわけではなく、正攻法として運輸省をはじめとした行政への陳情などを繰り返した、そののちのことであることもわかる。
要は、話しても聞こえないなら声を大きくするしかない、というこれまでの経緯が実力闘争の激化につながった、ということだろう。

ちなみにその当事者の記事にはアメリカの同事例にも言及があるが、当時似たような対応を取られたアメリカでは、1990年に連邦法としてAmericans with Disabilities Act of 1990(ADA法)により障害者差別が、人種差別と同じ文脈で禁じられ、現在ではノンステップバスが多く走っていることが羨望の眼差しで書かれている。


障害者側からの権利獲得運動の背景には、こういった実力行使まで追い詰められた数多の状況があり、その歴史は、いまを生きる障害当事者の運動に一種の成功体験として継承されている。
そして、そのような一見わがままで過激にしか見えない、車いすユーザーの行動がSNSの発展と結びつき、以前とは比べ物にならない速度で伝搬するようになった。

だが、その外側のいわゆる健常者には、その背景はなかなか気づけない。
もっと言えば、自由のために戦った経験などないから、共感の余地もない。そもそも、それを与えられて生まれた、歴史的に見ればレアな世代が大多数だからだ。

ましてや、そのような運動は新左翼と呼ばれる、旧来の政党とは独立した運動の一翼を担っていた。差別を受けている人々を教育し、巻き込んで運動を大きくしていく方針で、運動の内容も革命志向を孕み過激化した面はある。
いわば寝た子を起こしていく志向の運動に対して、旧来の社会構造を是とする人々は当時も今もアレルギー反応を起こしたのではないかと思われる。

だが、そのような闘いが今も話題になるということは、世の中の障害者に対する理解度はそのバス闘争から50年を経ても、たいして変わりないという現実を示してもいる。
せめて、この青い芝の会のことを知っておくだけでも、障害を持った人たちがなぜ頑なに実力行使を行うのか、の背景を考えることができるようになるだろう。


だが、先のバンク・ミケルセンの運動は、ノーマライゼーションという名を得て、様々な障害を包摂し、2006年には国連決議により障害者権利条約に実を結んだ。
日本はこの条約に署名したことで、それを批准するためにその内容を国内法に反映する義務を負った。障害者総合支援法や障害者差別禁止法はその日本国内向け成果品である。

特に障害者差別禁止法では、2024年4月から民間事業者の障害者に対する合理的配慮は努力義務から法的義務になり、違反時は行政に報告を求められ、指導や勧告などを受けるとのこと。

つまり、強制力を持つ法的な枠組みができたことで、障害当事者はレジスタンスにも似たゲリラ戦をせずとも、日本が法治国家であることを利用しそのフィールドを拡張できるようになった。
実効性のあるもう一つの武器を、障害当事者はようやく手に入れたと言える。

だが、その現実を切り分けるための武器の名前が「合理的配慮」という、分かるようで分からない、鵺のような五文字であることが、今後ますます問題となるであろう気配も感じる。


では、その武器の使い方を考えよう。

次回、様々な車いすにまつわるトラブルを例に取り、合理的配慮に振り切った対応を、できるだけ具体的に書いてみることにする。


以前の、関連投稿はこれ。


※参考文献
なぜ人と人は支え合うのか 渡辺一史 著 筑摩書房


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