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痛みを飾る


少し前に絵描き友達と飲んでいた時
「絵の中に負の感情を負のまま入れたくない」
という話になって、思わず首がもげそうなくらい頷いて肩を組みながらハイタッチしてしまった。
あくまで私はという話だけれど、どんなにぎらぎら・めそめそした気持ちでも、吐き出す過程できれいきれいにしてやりたい。



先日まで「鎖とリボン〜相反する物質、あるいは概念〜」という企画展に出展していました。
このテーマにおいて、鎖かリボンどちらかに負の役割を求められていることを感じていたのだけれど、ひねくれ者で綺麗事吐きの私はどっちも悪者にしたくないなあと思ってしまったんですね。
書きおこすと野暮ったくなりそうだったので迷っていたのですが、思いのほかnoteを待ってくれている人がいたので、少しだけ制作意図をお話させてください。


誰しもが大なり小なり
「これは墓場までついてくるんだろうな」という痛みを持っていて、追いやろうとするほどそれに縛られていることを意識してしまう。
この痛みからこそ、その人特有の魅力が生まれるのではないかと思っています。

縛られていると思っていたものが、自分に1番似合う飾りになっていた。
そう言えるようになりたいという気持ちが今回の軸でした。

「Pの繋」
過去を結う。
変えられないもの、忘れられないもの、全てが身体の一部。

カランコエ:たくさんの小さな思い出(構図の流れに沿わせたくて、枝垂れタイプのフィフィにしました)


「Fの繋」
未来を編む。
大事に選ったものだけで縛って、心地よい拘束と丁度よい視野を手に入れる。

ヒペリカム:悲しみは続かない

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2点とも、雨水の流れを美しく見せてくれる鎖樋を装飾にしました。

もう全部きれいにしてしまっていいよと、私なりの許しフィルターを最大限にかけた絵です。


解放、束縛、守護、絡まる、ほどける……見る人のコンディションによって様々に読み取れたと思いますが、感じたままで大丈夫です。
意図を書くと「正しく汲み取れなかった」と思わせてしまいがちだけれど、正直考えてることの半分も伝わるわけないと思って描いてるので、自由に見てもらえるのが1番です。

個人的にこういうのかなり聞きたい派なので、作家さんが在廊されている展示ではなるべく意図やこだわりを聞くようにしています。もう一度戻って見たくなるし、思い入れが段違いになる。

ステートメントのない現代アートを鑑賞するのが超苦手なんですけど、自由に見てほしいとか言ってる私が1番正解を求めてるのかもね。

#展示 #イラスト #日記

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