子ども2人置いてフジロックに行ってきた話

フジロックに行ってきた。24時間滞在。
2日目の土曜日は配信みながら、洗濯や掃除や身内とはいえ人が泊まるのでベッドメイキング。娘は、外に出たいと窓の外眺めてるが、いやこの酷暑の中公園とかdeathだから。レゴの相手もまともにせずでごめん。
とりあえず自分の楽しみのためには、朝から子ども2人と過ごしながら家事がバリバリできてしまい、当然普段こんなにしないので、改めて自分の人間性を実感する。2週間先延ばしにしていた赤子のマンスリーフォトも撮った。前回入院中に書いたnoteを最後に、あっという間に1歳になってしまっ
た。

7月に入り、コロナとも疑わしき咳風邪で2週間くらい低調。やっと快復したと思ったらもう開催は目の前だった。母と妹に一泊丸一日、我が家で面倒みてもらう。
気になるのは、赤子の夜泣き対応できるか(できるだろうが申し訳ない)のと、おっぱいが張って痛くならないか。だった。あまり飲まない時期になったとはいえ授乳を続けている。
とりあえず電動搾乳機を荷物に入れ、単四電池を慌てて買い、テントで搾乳している自分を想像するもあまりイメージできない。

直前まで、母も同じような咳風邪。「無理しないで。今回は諦める。」とLINEした前日。
だけど結局来てくれた。娘は妹に懐いているので、ほがらかにバイバイ。赤子は寝起きで、おっぱいくわえても「いらん」。案外と大人しく母に抱かれ穏便に、16時過ぎに家を出る。

どうせチケットは明日の分しかないので、焦らず行こうやとつぶやきつつ、何時に着くか気になるところ。現地でハッスル中の夫に、どれだけ今日家事したかを長々と箇条書きにして送りつける。

最後のフジロックは2019年。コロナの影響がまだみられなかった頃。1年延期して国内アーティスト&ノンアルで開催した2021年は赤ん坊が生まれていた。
配信を友達の家で見た。夫は、フル参加した。交渉に持ち出されたトレードオフすべき事案(私が仕事しすぎて負担かけ続けた時期があった)もあり、産後1ヶ月だしもうなんでもええわさすがに行けないわという感じもあり、よく一家で遊ぶ友達が「うちで一緒に見ればいいじゃん」と言ってくれて、子ども2人連れてお邪魔した。

あっという間に季節はめぐり「いつものフジロック」にフル参加したいという。子ども2人はどうする。とりあえず私は日曜だけ参加する。それに加え、サマソニ2日間とレディーガガ来日公演行かせてくれるならばいいよとあっさり決まる。なおチケットはその時点でいずれも完売していた。

越後湯沢駅から、2年前みたくシャトルバスに並ぶんだろうなーと思っていたら、全くもってそんなことなく、乗客9名で発車して拍子抜け。
清志郎の 田舎へ帰ろう がかかる車内。窓の外はピンク色。天気に恵まれている。

19:40会場に到着。いつもの仲間内でキャンプサイトにテント村をつくっており、そこで読書でもするかなと思いきや、村の住人が座っていた。なんせフジロックでしか合わない面々で名前と顔もメインメンバー以外は一致しない。「昔、会ったこともあるかもしれないね」と、乾杯して飲んでいたら、気づいたら2時間経っていた。延々話していただけなのに。生い立ち共有レベルの深い話になった。テントオブヘブンの魔力さっそく。

夫含め夜遅くに村人が帰ってきて、なんやかんや、4時半まで飲んでいたら空が明るくなってきて我に帰る。だって、某村人、知り合いの女性が来てて、夜逢引したら盛り上がってなんか起きたらしいんですよ。いろいろ聞きたいじゃん。朝、暑くて起きる。

越後ビールで乾杯し、昨日散々遊んでいたのにもう元気な仲間と、どうでもいい話をゲラゲラ、真っ青な空の下でしてる。作ってくれた朝ごはんが美味しすぎてびっくりする。楽しくってトイレに全然行くスキがない。結局起きて4時間たってやっと入る。

最終日スタート。雨具も椅子も持ってくの忘れる、勘の戻らぬ2年ぶりっぽさ。奇妙礼太郎に心臓射射抜かれたり、ユアソンをハンモックエリアで聴いたり、一番奥のアヴァロン行ってみたり、飲み続ける。晴れてる。暑い。木陰が気持ち良い。
朝霧シチューからはじまり、食べたいものも一通り食べられた。

夫と合流し、ところ天国を歩いていると、中村佳穂が数名で飲食をみにきていて、思わず声をかける。4年前のアヴァロンをみて、CDも買いましたと。ただご飯食べるためだけに座ったステージで、2人して彼女の才能に感動したんである。嬉しいと言ってくれた。喋れて嬉しかった。写真撮ればよかった。あと一歩の勇気。。。

PUNPEEのグリーンステージの心地よさよ。少しずつ、いや最初から、終わりを意識しないとならないのは残念だ。でも家にいる人たちのことを気にしないなんて今の私には無理である。

中村佳穂(ワンマン行けばいいしなとTOM MISCHと迷ったが、楽しみにしてるって本人に伝えちゃったしな。)を終えて、急ぎめで戻る。途中のずとまよはもっと見ていたかったけど。
時間ギリギリなことを私より心配してるグリーンにいる夫と仲間に別れを告げる。途中まで送ると言って抜けた矢先、腹痛だとオアシスのトイレに消える。なんやねん。シーユー2023で写真撮り損ねたわ。

越後湯沢→東京 21:13を逃すと1時間待って終電になるので(2年前も同じなのに、忘れてるし調べてもない奴)、唐突に焦り始め早歩き。汗だくでシャトルに乗り込み、ドキドキしてると間も無く出発してくれる。そして、運転飛ばしてくれる。乗客の圧に応えるかのように。。。

GPSみて、間に合いそうだなとほっと一息。家の様子が気になりつつ、余韻にひたる。ステージもだけど、キャンプサイトがやはり楽しい。

いつも、なんだかもっとはしゃいで踊ってたけどな?と思ったがそれはおかしくて、そもそもガイドラインがある。
もうちょっと、飲んで笑って大騒ぎしたかったのが正直。写真もいつもより少ない。燃焼しきった感じはそんなになくて、でも燃焼してしまうと明日、保育園に送ることができないのだ。

新幹線は爆睡。東京駅でフジロッカーは散り散りになる。みんな帰る家があるんだなと当たり前のことが浮かぶ。

23時過ぎに地元につき、タクシーで家に着き、赤子はまだぐずぐずして起きて母に抱かれていて、私を見た瞬間、うあああんと泣く。ぎゅーっとしがみついてくる。さすがに、こんなに長い間いないのおかしいと思った?と話かけて。

赤子やっと寝て風呂入ってスッキリし、礼太郎の配信みちゃって、また寝不足。

今朝はまだ、夢の中にいるようで。子どもらを暑い中、荷物たくさんとともに預けたら、なんだか寂寥感。思っても見なかった心のありよう。仕事少ししつつ半休にしてたが、家にいられなくて、カフェに来てこれを書いてる。

若い頃のように、結婚する前のように、子ども生まれる前のように、好きなものは好きなまま、遊び続けて仕事し続けて、そこは変わらぬ自分でいたいと漠然と思ってた。
でも、少しずつ、諦めることも増えた。ちょっと無理してやりたいことを取ると、そのしわ寄せが何かの罰みたく現れる。
「好きなことを好きなだけは、できないでしょう?」そんな問いがリフレインしている。私の周りに直接言ってくる人は幸い少ないが、でもやっぱり、自分はいつのまにか人の親である。

準備もはるかに面倒だ。リスクヘッジも含めシュミレーションしないといけない。はいどうぞ、と一泊預けるだけだけど、普段追われながら生活していて、最低限の準備だとして、そんなに簡単じゃない。

正直、もういいかな今年はと少し思ってた。身内にかける負担もあるし、赤子は人見知りも激しい。胸が張るのは何せ痛いし、乳腺炎なんてもっと嫌だ。
これまではだいぶイベントや外出に前向きで平均値より参加してきた自負がある人間も、簡単に変わるんだなってのも実感している。
ひとりならどこでも行けると思っていた時期も長く、そんな自分が好きだったりもしたから。

でも、結局、行くことができた。こんなコロナ禍に行くことができて、居るときは心地よさはあっても大興奮みたいなものはもうなくて、当たり前にあるいつもの空間を享受してるだけ。みたいな感じだったけど。

いますごく淋しくて、J-WAVEから流れるフジロック事後特集も切なくて、これはもうやっぱり、あの空間が閉じてた何かを呼び覚ましてくれたせいなのかもと思ってる。

好きなことを追うことができた自分。なおさら、我が子も愛しく感じる今日。

なにより、フジロック運営はじめ、仲間、そして母と妹に深く感謝。夫、君はレディーガガのチケットをなんとかゲットしてくれ。帰路は気をつけて。


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