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海原会機関誌「予科練」創刊にあたり

                予科練戦没者慰霊碑建立委員会
                      会長 桑 原 虎 雄

 霞ケ浦湖畔、我等の敬慕する戦没者一万の象徴とも申すべき慰霊碑が建立されてから、早くも一周年になろうとして居ります。その間、既に遺族の方々を始め多数の来訪者が踵を接し、或いは懐旧の物語に時の移ろのをも忘れ、或いは純情至誠、斌爽たる雄姿を仰いで、限りなき感激と無言の教訓に胸打たれる人士証尠からざるを見聞し、我々予科練生存者の真心、些かなりとも天に通じ、英霊も定めし微笑して見ていて下さる事と確信致す次第であります。
 然し、私達としては、これを以て満足する訳には参りません。更に進んで遺徳を顕彰し、不屈不擬の予科練魂を、正しく青少年に伝えるの実を挙げなければならぬものと深くその責任を感ずるものであります。
 具体的に如何なる事をなすべきか、これから発足する予科練之碑保存顕彰会に於て慎重研究の上方針を決定し、その日的達成に邁進致し度いと存じます。
 戦没者慰霊碑建立に就きましては、皆様の絶大な御協力御支援に依り、総べて予定の通りの成果を挙げたのであります。
続いて又この御願いを申上げるのは甚だ恐縮でありますが、顕彰会の趣旨に御質問の上、何卒御援助給わり度くよろしく御願い申し上げます。

はるかなるみ霊に 〈阿見町婦人会の清掃奉仕〉

(海原会機関誌「予科練」第1号(昭和42年4月5日)より)


 「予科練」とは、海軍予科練習生(昭和11年12月海軍飛行予科練習生へ改称)の略称です。

 予科練の制度は、優れた航空機搭乗員は英才の早期教育が必要との観点から、高等小学校卒業者で15歳以上17歳未満の若者をその教育の対象としたもので、第1期生79名(うち1名は途中除隊)は、全国5,807名の志願者の中から厳選され、昭和5年6月に横須賀海軍航空隊(追浜基地)に入隊しました。

 予科練の制度は、昭和20年6月に教育の凍結がなされるまでの、わずか15年間にすぎませんが、その間に約24万名が志願し、18,564名の卒業生が戦死され、そのうち1,557名は特攻隊の隊員として大海原にあるいは大空に散華されました。

 公益財団法人「海原会」は予科練出身戦没者の慰霊顕彰と遺書・遺品などを管理しています。詳しくはホームページ、ツイッターをご覧下さい。

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