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コミニュケーションの仕方の考察

お盆にかけて実家に帰ってきていました。実家には私に合わせて遠くに住んでいた妹も一緒に帰ってきました。

いろいろと気持ちが切羽詰まっていたんですが、肩の荷を下ろしたというか、なんか一息ついたというか、別のことに不安はあるものの、とりあえずちょっと気持ちを戻せた感じです。またnote書き始めよう〜。

実家の話に戻して、うちの母と妹は犬猿の仲。割とずっと。

お互いが他人にばかにされるとムキになって怒るほどお互いを好きなくせに、面と向かうといつも喧嘩ばかりの仮面犬猿。どちらも素直になればいいのにといつも思うのですが、その間に挟まることが面倒でもあり懐かしくもある日々です。

そこでいつも思っていたこの犬猿のコミニュケーションの下手さについて考えてみました。どうせ仲良くはなれないんだけど、どうにかなる方法があるのかなって考えてみたんです。

とりあえずケンカ腰の声を直す

二人とも私と話す時は普通のトーンなんですが、母VS妹となると声のトーンが一段下がりボリュームが大きくなります。近くで話せばいいのにね。遠くで叫びながら言葉だけで話そうとして、お互いに理解できずにぷりぷりと怒る。

ケンカしようと思って話してる、ように見える。

不機嫌な人や怒っていると勘違いされるという人も、この声のトーンと言葉選びが最初からもう心地よい音ではないのだろうなと思います。特にうちの犬猿は、私に話すときと大きく違うのが目に見えているので差をつけているのがすぐわかっちゃうんです。

人に向かって出す声の音は、コミニュケーションを取る上でとても大切なのだと思います。

食い違う二人の意見は情報の形が違うだけ

そしてさらにいつも、二人の意見はすれ違う。そしてどんどん食い違っていく。例えばこんな感じ。

妹:今日墓参りでしょ、いついく?
母:まだ行けない
妹:いや忙しいんだけど
母:知らん
妹:いやいつなのって聞いてんじゃん
母:だからまだ準備できてないから行けないって
妹:だからいついくんだっての
母:わかんないよ
妹:勝手にいけってか
母:そうは言ってないじゃん?

また別の日は

妹:このお店のおかずこうだよね
母:だとなんなの?
妹:こうやって作るからさ、こうなるんだろうね
母:だからそうだとなんなの?
妹:いや、もういい
母:なんなの

…………まあまあ落ち着きなよって感じですよね。気い抜くとすぐケンカするんです。これがどっちもどっちで、似たような話がどちらを起点にしても起こります。

まず最初の方は、妹が聞きたかったのは何時頃を目安に墓参りに行くつもりなのか目処を知りたかった。でも、母はそれを今確定できないからわからないしか答えがなかった。

次の方は、母が聞きたかったのは、だからいいの?悪いの?ということ。妹はお店にいる手前言いたくなかったのか含めた言い方をしたかった、というわけ。お互いに察してよ!と言わんばかり。察するについての押し付けはマジで辛いですよね。

お互いに言いたいことしか言わない上に、聞きたいことしか聞かない。一方通行同士のコミニュケーションになってしまっているんですよね。

今相手が欲しいのは抽象的な話なのか、具体的な話なのか。
多分必要な情報はこれに二分されているんです。ここがすれ違って食い違う。

そもそもQとAが全然違うこともあるでしょうけどそれは一旦おいておいて、察するとか察してとかでもなく、欲しい情報の形が違うだけ。

それを聞きながらわかってあげられたら、コミニュケーションは円滑に行くのに、どうしても言いたい、どうしても聞きたいことを譲れない。

「急がばまわれ」はコミニュケーションの中にもあるし、今必要な情報はなんなのか、なんのためのコミニュケーションなのか(意味のないときはそれはそれで楽しいよね)を考えつつ話せるといいんだろうなあと思います。

家族ほど傾聴しにくい

家族にまでそんなに気を遣っていられるかって感じなのか、特に家族だと「聴く」ができないもんです。

意味が繋がるまで話を聞いてあげない。
洞察しながら聞かない。
聞くことに対して労力を割こうとしていない。

わかるように喋ってよ、という気持ちが先に出やすいんですよね。他人なら、この話どう着地するのかな〜とか思いながら聞き続けられるのに。勝手知ったる家族であると、もう話してたってしょうがない、こいつはこういうやつだ的な決めつけが生まれてしまう。

できれば家族と話すのを面倒がらずに、傾聴する気持ちが幾つになっても要るのだなとも思います。

間に立って要約するのが私の仕事のはずが

昔から、私は「こういうことだよね、今こう言ったのだろうね、そういう気持ちってことかな?多分。」みたいな説明や注釈を母と妹の間に入ってやってました。

でもいざ自分が娘に対してちゃんとやっているのかと言うと、ちょっと自信薄。わかってくれるだろう、多少キツく当たっても嫌いにはなられないだろう、みたいな甘えもあるんでしょうね。

B型は慣れると口が悪くなると言うけれど、それはB型だけの話でなく、関係にあぐらをかいた人の話。口が悪くなっても相手を思いやったコミニュケーションならいいんだけど、思いやりの気持ちのない甘えの会話はお互いの心の距離を離して挙句には裂いてしまう気がします。

母と妹も今首の皮一枚。
私と娘は…???

…不安。

「声」と「聴く」でコミニュケーションが円滑になる、かな?

なるべく優しい声で、思いやりを持って聴けば、ケンカをせずにコミニュケーションを取れるんではないのかなあ、と言うのがコミニュケーションの私の解。

内容を聞くんじゃなく、欲しい答えを聴く。
何が言いたいのか、何を知りたいのかを考えながら聴く。

それでもわからなくてキレられちゃうのは、また別の話かなと思うんですが、犬猿の二人にそれとなく話してみようと思ってます。
これを上手に伝えるのも、私のコミニュケーションスキルが必要になるんでしょうなあ〜



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