福島正則(ふくしままさのり)と広島のお酒 その1(全3回)


今日はね、戦国時代の有名な武将、福島正紀(ふくしままさのり)っていう人のお話しだよ。
1561年生まれで子供の頃は市松と呼ばれていたよ。お母さんは豊臣秀吉(とよとみひでよし)のお嫁さん、おねさんの妹だったんだって。お家は桶屋さんだった。そう、お風呂に入る時に使う洗面器、昔はそれが木でできていて、それを作っていた家だったんだね。

秀吉が織田信長(おだのぶなが)の家来になると、おねさんのところに預けられて小さい頃から秀吉のもとで生活していたんだよ。大きくなって、正則は秀吉の大切な家来のリーダーとなっていったんだ。武勇に優れていたし、家来たちをとっても大切にした人だったんだって。だけど、秀吉の家来の中に石田三成(いしだみつなり)という武将がいたんだ。残念なことにこの人ととっても仲が悪かったんだね。どっちかというと、石田三成は学問が得意。でも槍や弓を持って戦うのは下手だった。けれど、正則は学問はあんまり得意じゃなかったけれど、槍や弓を使うのが上手だったからね。戦いの時には手柄をたくさんたてていたんだよ。こんな訳で二人はとっても仲が悪かったんだ。秀吉が病気で亡くなってしまってからのこと。1600年に関ヶ原の合戦(せきがはらのかっせん)と言う大きな戦いがあったんだよ。豊臣軍と徳川家康(とくがわいえやす)軍との戦いさ。日本じゅうの武将たちはどちらに味方するかで大騒ぎだったよ。豊臣軍のリーダーは石田三成だったんだ。正則は面白くなかったよ。豊臣のおねさんや秀吉には小さな頃からお世話になっていたから、もちろん豊臣軍の中で戦いたかった。けれど、石田三成がリーダーだから、いやだったんだね。正則は徳川軍に入って豊臣軍と戦うことにしたんだ。正則は今までの仲間たちを敵として戦うことになったよ。特に宇喜多秀家(うきたひでいえ)とは激しく戦ってしまったんだよ。ついこの間までは仲良しだったのにね。関ヶ原の合戦は、あっけなく1日で終わってしまった。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
また明日、ポン!

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