れきしーくんの知育歴史話

ぼくの名前は『れきしー』 モノマネが大好きさ♪ 「ポンと昔。…」と言ったら、何にだっ…

れきしーくんの知育歴史話

ぼくの名前は『れきしー』 モノマネが大好きさ♪ 「ポンと昔。…」と言ったら、何にだって化けれちゃう❗️よろしくポン🍃 本当にあったことや昔話を歴巻(れきまき)📜をほどいて読んでいくよ‼️ 【歴史を知ると未来が見えてくる👀】んだよ! 色んなこと知ってるカッコいい大人になろうぜ👍

最近の記事

西洋草履

日本で初めて靴をはいたのが、あの有名人だってね。 ポンと昔。 日本人が靴をはきだしたのが、江戸の終わり頃だってね。 『西洋草履』は、サンダルじゃなくて靴のことをこう呼んでいたんだってよ。 靴を初めてはいたのは、新しい物好きな坂本龍馬だったってね。 『潮風でごわごわになった桔梗紋の黒紋服どろりと垢じみた小倉の袴、陸奥多守る陸奥守吉行の落とし差し、それに足には大きなかいいん靴をはいていた』 司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』にはこんなふうに描かれているよ。 袴姿に靴をはいていたんだね

    • 源平ツツジ

      ツツジに源氏と平家の名前がついているんだってね。 ポンと昔。 今から800年も昔のことだよ。 寿永3年、1184年、2月7日のこと。 源義経の有名な一の谷の戦いがあった日だよ。 平清盛が亡くなってから 3年もたつと、 平家一門は源氏の勢いにおされて、 都を追われて、京都から西へと落ちて行ったんだ。 だけどやっぱり、挽回して源氏と戦おうと、 平家の武士たちが 兵庫県の一 , リンク, の谷に集まっていたんだよ。 そこへ、源範頼、義経の兄弟が平家を迎え撃とうと 一の谷目指して下っ

      • 1石と1合う

        百万石のお殿様なんていうけど、 その1石って何のこと? ポンと昔。 1石の穀とはお米の量のことをいうんだって。 昔の1石なんかの単位はお米が基準で考えられているんだって。 お米をいっぱい持っている人がお金持ちだったってことだね。 1石って、1人が1年間に食べるお米の量のことなんだって。 昔は1年間に1人で150キロくらいのお米を食べていたというんだよ。 1石はお米150キロのことなんだね。 現代人は1年に60キロくらいを食べるらしいよ。 1ヶ月、5キロも食べているかな? だか

        • まないたのルーツ

          まな板にもルーツがあったんだよ。 ポンと昔。 今は、一枚のまな板で、お魚もお肉も菜っぱも切ったりするね。 昔のまな板は『真魚板(まないた)』。 漢字からわかるように 昔はお魚を料理するのにだけ使ったのがまないただったんだ。 昔、日本人の大切なおかずはお魚だったよ。 お魚は貴重な動物性タンパク質だった。 だから特別なまないたの上で調理したんだって。 野菜を切る時には別の物を使っていたんだね。

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          スフィンクスの謎

          スフィンクスは体がライオンで顔が人間と、いう形をしていて、 魔除けの意味があるっていわれているよ。 紀元前2500年から3500年くらい前、 エジプトのナイル川の河口にあったのが エジプト文明だよ。 王様たちのお墓は、大きな大きなピラミッドだったよ。 その横に置かれているのがスフィンクスさ。 そのいくつかある中でも ギザの大スフィンクスはめっちゃすごい。 長さやく73メートル、 高さは20メートルにもなる 巨大な物。 カフーラー王のヒラミッドの参道脇にあって、 カフラー王の守

          冷蔵庫のなかった江戸時代

          江戸時代、お魚やお肉はどうやって保存していたのかな? ポンとむかし。 もちろん、江戸時代には冷蔵庫もガス台もなかったよ。 冷蔵庫がないのにどうやって食品を保存していたのかな? ずばり!! 江戸時代には食品を保存していなかったんだ。 買いだめなんてしていなかった。 1食1食食材を買っていたんだ。 しかも、お店に買いになんて行かなかった。 「あさりー、あさりー」 朝飯時にはあさりやしじみ、納豆なんかを天秤棒担いだ振売り屋が家の前まで売りに来てくれる。 「あら、いい魚があるじゃない

          冷蔵庫のなかった江戸時代

          江戸時代のお花見のお弁当ー

          今から300年くらい前、 江戸時代の元禄時代の頃だよ。 8代将軍徳川吉宗はね、 隅田川や飛鳥山なんかに 桜の木を沢山植えさせたんだよ。 庶民もお花見を楽しめるようにってね。 今と同じように、みんな、家族やお友だちを誘ってお弁当を持ってお花見に出かけて行ったんだね。 どんなお弁当を持っていったのかな? キョー和元年、1801年に刊行された 醍醐山人の『料理 早指南』には 漆塗りの重箱や、手提げ式重箱に料理を詰めたゴージャスなお弁当が紹介されているよ。 1の重にはね、 『かすてら

          江戸時代のお花見のお弁当ー

          江戸時代のお花見のお弁当

          じゃ、庶民はといえば、 落語の『長屋の花見』で おもしろおかしく紹介されているよ。 貧乏長屋のみんなで大家さんも一緒にお花見にお弁当と飲み物を持って出かけたんだ。 桜の木の下でさっそく宴会が始まったよ。 お隣のお大尽の豪華なお弁当をチラ見しながらね、 お酒だというんで喜んで呑んでみたら それは、番茶を水で薄めた物だったよ。 じゃ、かまぼこを1つとかじってみたら、 こりこりと音がする。 なんだ、色だけ似せた、月型に切った大根の浅漬けだった。 卵焼きは黄色いからたくあんで代用され

          江戸時代のお花見のお弁当

          江戸時代のお花見のお弁当1

          今から300年くらい前、 江戸時代の元禄時代の頃だよ。 8代将軍徳川吉宗はね、 隅田川や飛鳥山なんかに 桜の木を沢山植えさせたんだよ。 庶民もお花見を楽しめるようにってね。 今と同じように、みんな、家族やお友だちを誘ってお弁当を持ってお花見に出かけて行ったんだね。 どんなお弁当を持っていったのかな? キョー和元年、1801年に刊行された 醍醐山人の『料理 早指南』には 漆塗りの重箱や、手提げ式重箱に料理を詰めたゴージャスなお弁当が紹介されているよ。 1の重にはね、 『かすてら

          江戸時代のお花見のお弁当1

          義家えと貞任との歌問答 2

          天喜5年、1057年、 安倍の頼良しが殺されてしまったよ。 でも、頼良の後をついだ子供の、貞任、宗任の兄弟はお父さんの頼良以上に強かったから、 源頼義たちを困らせていたんだ。 安倍一族はね、 『作』と呼ばれている陣地から戦っていたよ。 さくはようさいのような物で、 その陣地の中には掘っ立て小屋があって、 その周りには10メートルにもなる堀が作ってあって、 その底には鉄の矢が幾本も上を向けて立てられていたよ。 堀の周りは柱でぐるり囲んであったよ。 柱の間から、矢を射ていたんだね

          義家えと貞任との歌問答 2

          秀吉の歯と星座

          豊臣秀吉の本物の歯が形見として大切に取っておいてあるんだって。 ポンと昔。 大阪城の所には 秀吉を祀った豊国神社があるんだ。 そこには、『加藤嘉明にこの歯を預け置く』と書かれた手紙と一緒に、 秀吉の本物の歯が今でも大切に残されているんだって。 その歯を調べてみるとね、 どうやら左上の奥歯だったって。 そして血液型はO型だってことがわかったんだ。 と、すると秀吉は1536年2月2日生まれのO型で水瓶座ってことだね。 徳川家康は1542年の 12月26日 , リンク, の山羊座で

          義家と貞任の歌問答

          今から1千年前、『前9年の役』の戦いであった、 源義家と 安倍貞任の歌問答のお話だよ。 ポンと昔。 永承6年、  1051年 源の頼義は陸奥の 沈守府、将軍として東北地方の奥羽に赴任したんだ。 岩手県のあたりだったよ。 このころはちょうど、 平清盛や源頼朝や義経のお父さんが産まれた頃だね。 京都には朝廷があって日本中を支配しようと家来たちを地方へと出張させて、 その土地の人たちを従わせていたんだね。 陸奥国にはえにしと呼ばれていた人たちがいたよ。 えにしってね、卑しいとか、田

          義家と貞任の歌問答

          やびじ

          年に3日間だけ姿を 現してくれる島があるんだってね。 ポンと昔。 年に3日間しか姿を現さない島があるんだってね。 それは『やびじ』。 沖縄県の宮古島の傍にある島。 毎年4月上旬になると、 3日間くらいだけ決まって姿を現してくれる 期間限定の島。 大きさは宮古島と同じくらいで、 南北10キロ、東西7キロもあるというから、 大きい島なんだね。 やびじの周りでは、 春先に最も大きく潮が引く。 この時期に最大の干潮期を迎えるから 島の姿が見えるんだね。 この島はね、サンゴ礁でできてい

          トマト

          真っ赤に熟れたトマトはとってもおいしいね。 冷やしトマトなんて最高。 ポンと昔。 南米が原産のトマトがヨーロッパに伝わったのは16世紀頃。 日本は戦国時代だったね。 ヨーロッパに持ち込まれた頃は、 ただ見て楽しむ観賞用の植物だったんだ。 日本にトマトが入って来たのは江戸時代の最初の頃。 ポルトガル人によって伝えられたというよ。 日本でもやっぱり観賞用植物で 『赤茄子』なんていわれていたんだって。 鮮やかな色のトマトは 色も形も見て楽しむ物だったんだね。 日本でトマトが食べられ

          浦島太郎さんを乗せたカメさんに会ってきました。

          今日はね、浦島太郎さんを乗せた亀さんに会ってきたんだよ。 ポンと昔。 「亀さん、あなたがあ浦島太郎さんを背中に乗せて竜宮城へ行ったという亀さんなんですか? 季節はいつ頃だったんですか?」 「あれは、暑い夏でしたよ。 太郎さんはお優しい方でしたよ。 私が赤ちゃんを産むのに浜に上がってきた時でしたからね」 「えっ?太郎さんを乗せた亀さんはママ亀さんだったんですか?」 「ええ、そうですとも。 私はウミガメですよ。 卵を産むので、 浜に上がってきた時に 人間の子どもたちに捕まってしま

          浦島太郎さんを乗せたカメさんに会ってきました。

          みかん栽培の北限ち

          今日は、みかんのお話 だよ。 ポンと昔。 みかんは暖かい地域で栽培されているよ。 ジューシーなみかんは最高においしいね。 昔は、遠い南国からみかんを運んでくるのは大変だったから、 同じような物が地元でもできないかと工夫していたんだね。 天正年間、1573から1592年ごろ、 小田原から北条氏が みかんの苗木を武蔵の国に移植したというんだよ。 そこは今の埼玉県寄居町。 すぐ近くには北条氏邦(ほうじょううじくに)のいる鉢形城もあるからね。 この地区のみかん園は 標高230メートル

          みかん栽培の北限ち