酒樽の道 その1(全3回)


ポンと昔。今から400年くらいも前の大阪の農民たちのお話しさ。鳴尾(なるお)今の西宮市の農民たちは、水飢饉(みずききん)に困り果てていたんだ。大切なお米を作るための水がなかったんだ。雨がたっぷり降ってはくれなかったのさ。そこで、隣の瓦木村(かわらぎむら)に水を分けてもらえないかと頼んではみたんだけれど、断られてしまったのさ。水がなくっちゃ、稲が植えられない。稲を植えなければお米は獲れない。食べる物がなくなってしまう。納める年貢米も獲れない。農民たちは困っていたんだ。
「あぁ、武庫川(むこがわ)の氾濫(はんらん)さえなかったら、こんなことにはならなかったのに。」
その昔、武庫川が大きな氾濫を起こしてしまって、枝川ができてしまった。そのことがあってから、鳴尾村に水を引くことができなくなってしまったんだ。
「水が引けないと言っても、川の水を引いている村が現にあるじゃないか」
「そうだ、新川の水を引いてこようじゃないか」
「いやぁ、そんなことを勝手にしてお上に訴えられたら死刑になるなぁ」
鳴尾の農民たちは皆、考えたよ。勝手に水利工事をして新川の水を引いてくれば死刑になるけれど、このままにしていたら、村人たち皆が飢え死にしてしまうってね。
この新川から水を引くという水利工事のことは、人から人へと伝わっていったんだ。そして、武庫川を越えて大庄村(おおしょうむら)、今の尼崎市(あまがさきし)の弥十郎(やじゅうろう)の耳にも入って来たんだ。弥十郎はね、鳴尾村の人たちのことを思うと他人事のようには思えなったんだ。
「鳴尾村の人たちを助けてやらなくては。大勢の村人たちが水を待っているんだ。」
弥十郎は武庫川から新川、新川から鳴尾村へと歩いては考え、考えては歩いてみたんだよ。そうしてすばらしいアイデアが浮かんだんだ。

今日はここまで、続きはまた明日。
どんなアイデアなんだろうね。
お休み、ポン!

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