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本当の母の姿を忘れそうで、結婚式の手紙を残すことにした。

4年前の結婚式で母に宛てて書いた手紙。

自分の気持ちの整理のためにも書いてよかったな、と今は思う。

母が少し変だな、と気づきながらも病名もはっきりせず、年取ってわがままになったな、くらいに思っていた。

それでもまだ、私の中に強くてたくましい母が残っていて、そんな彼女に向けての自分の気持ちを書くことができた。

でも、今同じように書こうと思っても、弱った母の姿がどんどん昔の母のイメージに上書きされて、上手に思い出せない。

母は、強くて、賢くて、自由で、冷静で、かっこいい人だった。
子どものことは放り投げて、仕事しかせず、怖い人だった。
それでも幼い私は母が好きだった。
それなのに、今は「あまり好きじゃない人」になっている。

自分に子どもが生まれてみて、なぜ母はこんなこともしてくれなかったんだろう?と思ってしまう。

もっとこうしてほしかった、本当は淋しかった、やっと甘えられると思ったら、病気になって色んなことがわからなくなってしまった。

本当に、ずるい人。そう思ってしまう。

私のために、自分で書いたあの時の手紙を残そうと思う。
私は母のことが好きだった、ということを自分で残さないと忘れてしまいそうだから。


お母さん、私が小さいころのあなたは仕事に追われていて、お母さんらしいことをしてもらった記憶は正直あまりありません。
授業参観も入学式も、ちゃんと来てくれるかいつも不安で、子供の私は「将来は専業主婦になってケーキを焼いて子供を待っているようなお母さんになるんだ」と残酷なことを無邪気に言っていたのを覚えています。
そんな私を知ってか、お母さんが今も、普通のお母さんらしくいられなかったことを後悔しているのを私は知っています。
でも、今日でその気持ちとはサヨナラしてください。
私はお母さんが見せてくれたお母さんらしさを大切な思い出として記憶しています。
高校の吹奏楽部で頂点を目指すと決めた時には、決して楽ではなかった生活の中で、迷わずみんなと同じフルートを買ってチャンスをくれたこと、全国大会の時は、あなたが一番頑張ってるものだからと言って何とか時間を作って見に来てくれたこと、そして私が一人で海外を放浪するときも、心配するそぶりを一切見せず、行ってらっしゃいと明るく送り出してくれたこと。お母さんの一つ一つの決断は、潔く、かっこよく、娘の私を信頼してくれているんだなと自信を持てました。その自信が今の私の大きな支えになっています。
~中略~
そして何より、今私はお母さんと同じ、働く女性として自立しました。
私が幼いころにずっと見てきたお母さんの背中は、凛々しく、そして尊敬できる最高の女性像として、しっかりと私の心に焼き付いています。
女性が全力で働く姿は、私にとってずっと変わらない目標です。みんなの家とは違うけど、そんなお母さんの姿もあっていいのだと思います。だからどうか、自分の歩んできた道を、家族のために闘ってきた時間を、良い思い出として誇ってください。
お母さん、私の母親として34年間一緒に人生を歩いてくれてありがとう。

手紙は、Wordで打って清書した。だから幸い私の手元に原稿がある。

もっと元気な母と写真を撮っておけばよかったと思う。今、顔もどんどん痩せて、くぼんで、あの頃のように笑うことはできない。

でも母は、まだ生きている、まだ間に合う。そう思うのに、なかなかシャッターを押せない。今の母を残したくない、と思ってしまうのだ。

でも今年は、少し勇気をもって母の写真を撮ろう。今日が一番、元気なはずだから。

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