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未婚の母が子の6歳のバースデーで思うこと。

私は子を未婚で産んだ。

相手の嘘に気づかずに、都合の良いところだけ信じて、事実に気づいたのは新居へ引っ越す前日。バラバラになりそうな自分をつないで、不動産会社へ解約や当時の住居に1ヶ月の契約延長をお願いし、出産予定日の1ヶ月前の日に実家へ帰るための飛行機を予約した。

カッコ悪い、やらかした、なぜ気づかなかった?皆が笑っている気がして、人に言いたくもない。泣き言が言えない。遠方への引っ越し手続き、自営業の大幅な営業予定の変更、弁護士との打ち合わせ、認知関係の書類作成、相手を責める暇ないくらい多くの手続きに忙殺され、記憶が曖昧なまま私は実家へ帰った。

実家は過疎のすすむ山間にある。

保守的で、親からは「常識がない」と言われ、下ばかり可愛がられている意識のある4人兄弟の長女が私。

ここの常識だって、世界から見れば非常識かもしれん。ここの常識が絶対でもないのに、私が間違っているように言われることが不満で、保守的な環境に愚痴を言い続ける母も嫌で、酔うと下品な笑いを取ろうとする父も嫌で、通学時以外バスが1時間以上来ないのも嫌で、きつい方言や訛りも嫌で高校卒業以来たまにしか帰らなかった実家へ、こんな形で帰ることになるとは自分でも酷過ぎる悪夢のようだった。

実家では多少ギクシャクしたものの、それよりも大仕事が待っている。昔の子供部屋をあてがってもらい、1ヶ月後の出産予定日に備えて準備を進めた。

20余年ぶりののどかな田舎の風景は意外にも新鮮だった。多少人付き合いにナーバスになりながらもあっという間に時はすぎ、あんなにメンタルギリギリだったり、予定日を11日過ぎた高齢初産にもかかわらず、元気な女の子が産まれた。

その後は自営業の継続の模索、実家の居候として家事手伝い、育児を夢中でこなした。生後6ヶ月から娘を保育園に行かせ、家事、仕事。2歳から別に事務所を借りて自営業の継続と帰宅後は家事手伝い。

娘が5歳の誕生日を過ぎた頃、コロナで鬱気味、アルコール依存症気味になった父の暴言や八つ当たりに辟易し、引き止める母に謝り、引っ越しをしてもうすぐ1年。

心配していた自営業は環境の激変の中で持ちこたえ、営業方針の転換をしたことで以前よりも利益率が良くなった。

娘は活発で母をフォローしたり突っ込んだりできる健康的で優しい子になり、ずいぶん手がかからなくなった。

少しだけ自分の時間を取ることができるようになり、ここまで簡単じゃなかったけど、自分頑張った。と思えるようになってきた。

考えてみたら産後からずっと、大好きだったファッションもご無沙汰で、仕事と家族の事ばかりだった。

そんなことを振り返り思ううち、ここで一つ、何か自分にもご褒美をあげようと思うに至り、子供の6歳の誕生日、子供と自分に贈り物をした。

以前からいつか欲しいと思っていたリング。

これはこの無我夢中の6年のご褒美でもあり、これからの決意でもある。

私はこれからも子供を守り、子供に守られながら強い絆でこの子をたくましく育てる。欲しいものは自分で買い、自由を謳歌し自分の好きを突き詰めていく。

最悪だ、地獄だと思った日々が今の自分を下支えしてくれているのを感じる。嘘だらけだったけど好きになった相手のことや、自分の男を見る目のなさ、いろんなことが実はやはり繋がっていると思う。

そんなこんなでnoteで自分の内面や出来事をオープンにしながら、自意識過剰すぎて苦手な自己開示の訓練をしていこうと思っている。

また、かつての私と同様に不安でたまらない未婚女性が少しでも自分の人生を諦めずに前向きになり、輝けるようになれば良いなと思っている。



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