見出し画像

1992年、バンドンの夜

世界のあちこちに住む物書きたちがおこなっているリレーエッセイ企画『日本にいないエッセイストクラブ』。リレー企画第6回目のテーマは「冒険」。各走者の記録をまとめたマガジンはこちらです。

 バンドン留学時代の話をしよう。

 友人ヒクマットの家はバンドンの北、セクロア通り奥のクバンサリという住宅密集地帯にあった。その夜。低い屋根の立ち並ぶ入り組んだ通りを右へ左へ、留学仲間のアキと私は、わけのわからないまま、ただひたすら彼について歩いていた。二人も並べばたちまちいっぱいになってしまうような路地は月明かりに照らされて、両側の家々ときたらまるでおもちゃのように小さい。

画像1

 文学青年ヒクマットは、その若さの割にいつも悲観的でネガティブなオーラをまとい、皮肉な笑いを浮かべていたので、私とアキとでこっそり「悲苦魔人」と名前の当て字を作ってあげていた。これを思いついたときは、あまりに似合うのでふたりで涙を流して大笑いしたものだ。
 さて、その悲苦魔人と私たちは、くすんだペパーミント色のペンキが塗られた小さな飯屋に入った。こころもとない裸電球のともる店内は混んでいて、私たちは席を詰めてもらってどうにか座れた。先客たちは、緑豆のぜんざいや、あつあつのインスタントラーメンをいかにもうまそうにすすっている。私たちは300ルピアのぜんざいを注文した。ヒクマットはさっきからずっと、何やら思い出してはくっくとひとり不気味に笑っている。 

 お腹を軽く満たし、外に出た私たちは引き続き路地の坂道をのぼったり、くだったり、臭気の漂う小さな川を渡ったり。そうこうしているうちに、大学のキャンパスのあるディパティ・ウクール通りにたどり着いていた。「夜のキャンパスを見に行こう」と、ヒクマットから珍しく楽しそうな提案が出された。
 校門前で彼は偶然旧友と再会し、なにやら住所交換などしている。後で聞くと、その旧友が実は、バンドン工科大学で1989年に起きた8月5日事件(当時の内務大臣ルディニが講演のため同校を訪れることを反対するデモを起こした一部の学生が連行、逮捕された事件)においてリーダー格だった人物なのだそう。
 国立大学入試受付中の校舎は、あちこちにロープがはられたり案内板が出ている。私たちは校舎に忍び込み、屋上にのぼった。高いところからキャンパスを、夜空を思い思いに見渡していると

「最高だね!これが世界だよ!これが世界ってもんだよ…」

とヒクマットは嬉しげに叫び、神経質な笑い声をあげた。さっきから彼が口にしたのは丁字タバコと緑豆ぜんざいだけで、酔っぱらうような成分はなんら摂取していなかったはずだ。演劇青年でもあるヒクマットは、いちいち芝居がかった言動をする。

 お互いの顔は、暗くてよく見えない。ただひとつだけ明かりのともった大教室が、何やら不気味に光っている。下界の通りを行くさまざまな物売りの音。コンコンコン、というのは肉団子の麺(ミーバソ)。チンチンチン、というのは甘いしょうが汁(スコテン)で、ポーッという蒸気音はプトゥというココナツと椰子砂糖を蒸したお菓子の行商人が出す音。遠ざかるプトゥ売りの音に耳を傾けながらアキが言った。

「まるで宮澤賢治の世界だよ。これ。幻灯の世界」

画像2


 高原都市バンドンの夜はかなり冷える。私たちはそれぞれの想いにふけり、しばらく黙っていた。ふとヒクマットは沈黙を破り、キャンパスにまつわる彼の思い出話をはじめた。屋上で芝居の練習をしつつ、ひとの家の水浴び場を覗いたこと。深夜にデモのポスターを作り、早朝キャンパス内に貼り出したこと。警備員にポスターをはがされては貼り直し、はがされては貼り直しのいたちごっこをしたこと。

 時刻はもう、午前1時を回っていた。

***

(写真)当時の写真がないので、この記事のためにバンドン在住の友人西宮奈央さんに撮り下ろしてもらった(なおちゃんありがとう!)。散歩がてらとのことだったが、途中で本気の迷子になったりしたうえで全行程5.3㎞、階段にして38階分の昇降を行ったらしい。カジュアルに登山ができる恐るべき街、バンドン。おかげでイメージにぴったりな素敵な写真がいただけたのだけど、あまりにも当時の雰囲気と変わらないので驚いた。バンドンの街自体はものすごい勢いで変化していて、おそらく気温も当時よりはだいぶ上昇しているのだろうとは思うのだが、こうやって変わらない部分もあるんだなとジャカルタ民の私は勝手にホッとしている。

バンドンについては最近加藤ひろあきくんも書いてたのでシェア↓

***

さて、前回の走者はチリのMARIEさん。

国外で出会った人とあっという間に結婚、二人の娘を授かって、離婚後もその国に残るという点で私と似ているMARIEさん。娘たちに世界を見せたいという思いも共通していて、非常に親しみを覚えます。早くまたあちこち行けるようになるといいのに!

次の走者はネルソン水嶋さん。

「ボケが転がり倒している国」という意味ではインドネシアも負けてなくて、普段からニヤニヤしたり、「今の写真撮りたかった!」と悔しがったりしながら街を歩いています。そんな私の名作の一枚、題して『俺の電流』をここに披露しましょう。

画像3

ネルさん、ベトナム生活日々冒険だったみたいな印象ですが、どんなのが出てくるか楽しみ!

***

ハッシュタグで参加募集!
固定メンバーで回してきた企画ですが、海外での話を書きたいな、とお思いの方!ぜひぜひ「 #日本にいないエッセイストクラブ 」というハッシュタグを付けてお気軽にご参加ください。招待させていただくこともあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?