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STORY OF 江口の戦いについて②

三話目

細川晴元方だったのに、細川氏綱方へ転じる話。
漫画では、最初全員を参集させてみたのですが、その後論文などを読み込み続けると以下のことが見えてきました。あくまで可能性の話です。

①次弟である三好実休率いる阿波三好は江口の戦いには参戦しなかった。
②十河一存は元々細川晴元側から(十河が晴元直轄という立場)参戦したが、長慶が氏綱方と結んだのを契機に氏綱方へ。

そうなると、全然変わってきますよね。話。いやあ、本当研究者の先生方には頭が上がりません、むしろ感激して、色々こうやってどうしたら、この話をもっとアップデートできるのか?を考えることもできますし。

と言うことで、長慶は各地で仲間を集めるのです。宗三側も晴元側も各地でもちろん仲間を集めているので、一方的だったか?というと、個人的にはそうは思わないってことになるんですよ、上の太字部分を見ると。阿波三好は阿波細川(讃州家)に準じて、中立を保っているし、十河は管領である細川京兆家に準じている訳ですから、なんでこんなに大きい内輪もめするの!っていう感じですよ。

すでに少し遊佐長教の年齢ですら、予定していた年齢より若い可能性が出てきた。

四話目

で、晴元、政長側の方でも、それぞれ味方集めをするわけです。
京から大枠にかけた摂津北側のあたりなどで、集めていく訳です。
さて、茨木長隆とか伊丹親興とか、細川元常(晴貞の可能性)とか、私自身史学とか出身ではないし、理工学出身ですが、多分国語は大丈夫?な私が「こいつら誰やねん」状態で、漫画を描くどころか論文読みながら、色々な人のサイトや事典、Wikiとか参考にするのですが、それでも信憑性に欠けるとなると、論文検索を使って片っ端から細かい情報を絞っていくという作業…。
で、考えたのですが、良く考えたら政長側からはあまり見ていなかったという方向を少し改めないといけないという事実に気がついたのは、本にしちゃった後ですけどね!今度は政長側から描いてみたいですね。
ここまで調べたし。。

茨木とか伊丹とか、詳しくはそのうち。


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