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ENIGMAーHole_vol.1

「E N I G M A」という作品を、現在アーティスト・コレクティブで再構築している。「謎」や「不可解なこと」を意味するENIGMA=エニグマから、「境界」というキーワードを抽出し、2020年11月にワーク・イン・プログレス公演を行った。


境界から穴へ

私は、皮膚という身体の境界面から時間や空間、世界との関係を考察していたのだが、その過程で脳裏に浮かんできたのが「穴」だった。



皮膚というものが自分と外界を隔てる「境界」のような存在だと意識すると、例えば、気やオーラ、気配というようなエネルギーみたいなものが、皮膚をたやすく通り抜けることが感覚としてある。その実感から、「境界」は一般的に定義されているよう確定的なものではなく、もっと曖昧で不確かなものなのではないだろうか、という疑念がわいた。


「境界」は、人間の意識、曖昧な定義や解釈、偏見から創り上げられた幻想で、私たちは、境界が存在するというフィクションに翻弄されているのではないだろうか?そんなことを考えていたら、境界を創り出す人間の「心の内面」のイメージとして、「穴」が浮かんできたのだ。

私は穴に対して、一般的に定義づけられているものと対立するような世界、「想像世界、異世界のハイパー空間」というイメージを抱いている。幼い頃から「ここではないどこか」というような異世界への憧れが強く、今思えば、幼少期から絵や音楽や物語、特に“踊ること”を通して、想像世界・異世界の存在を確かめようとしていた気がする。

人は少なからず、周辺の環境、所属する社会に支配的な言説やパースペクティヴに従いながら成長していき、そこでの伝統的な社会的意識や他者のまなざしに影響を受けながら価値観を形成していく。多少の抵抗はあったものの、私もそれらの影響を受け成長し、いつしか異世界への入口に、自意識や知識、理性的判断という厄介な扉を設置してしまっていた。

穴について思いを巡らせているとき、この扉こそが「境界」といわれるものかもしれないと、ハッとした。

身を隠したいほど恥ずかしくてたまらず、身の置き所がないとき、「穴があったら入りたい」という。これは、中国の前漢時代の思想家、賈誼が書いた文章からの引用らしいが、身を隠すなら壁でも茂みでも柱でもいいはずだが、隠す場は「穴」なのだ。それは、穴に対して私達が根源的に現実から離れるための装置的な、異空間への入口のようなイメージがあるからなのではないか。そう考えると、墓穴、穴場、大穴、節穴・・・いろいろな穴にも通じるところがある。

前回の公演で、メンバーの内海氏から『包まれる内側、穴とつながる外』という言葉が投げ込まれた。〈包まれる内側〉は穴であり、“在ること=無いこと”の同一性を象徴し、〈穴とつながる外〉は、現実と異世界をつなぐ曖昧な境界と考えると、そのぼんやりとした境界面のさらにその向こうにあるものに触れたくなる。自分にとって不明なもの、未知なるものに出会いたい、自分から離れ、新たな認識に出会いたい、と思ってしまうのだ。

ここからさらに穴への考察を深め、来月2月11日に 穴をテーマとした『ENIGMA ―Hole』 をオンラインで上演する予定だ。


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