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映画『MINAMATA』を観て考える

MINAMATA』は、アメリカの写真家、ユージン・スミスが妻、アイリーン・美緒子・スミスと共に水俣病の被害者やその家族、抗議活動の様子などを写真に収め世界に発信するまでの過程を描いたものです。フィクション部分もあるようですが実話に基づいているということです。

水俣病は、チッソが有機水銀を含む工場の排水を海に流し、それによって汚染された海産物を人が食べたことによる公害病で、1956年に水俣保健所により公式に認められました。映画に描かれたのは1970年から数年くらいの出来事で、現在に至ってもまだ救済されてない方がたくさんおられるということです。

水俣病問題を写真を通して広く世に伝える意義は大きいと思います。印象深い写真であるほど見る人の心を動かし、関心が高まり、それが社会的圧力となって国や企業の責任を問い、賠償を促す力になる可能性がある。

けれど一方で、被害者やその家族のそれぞれの立場では、写真の公開を望むのか望まないのか、人に知ってもらうべきと思うのか思わないのか、それぞれ複雑な思いがあったのではないかと想像します。

映画の中でもこのようなシーンがありました。ユージンが患者に、体だけでなく顔も写させてほしい、それが人々の共感を呼ぶからと言うのに対し、患者は拒み、アイリーンが、あなたがこの患者さんの写してほしくないという気持ちに共感してあげてと言う、そのようなやりとりです。結局このシーンではユージンは患者の顔は写しません。
社会のため(伝える意義)か、個人(プライバシー)を守るか、非常に倫理観の問われる場面だと思いました。

この映画のクライマックスで出てくる母子の写真は、水俣病を象徴する傑作と言われている作品でした。
日本を含め海外でも写真展やそのポスターなどに使われ多くの人の目に触れていたそうです。けれど、その後写真に写っていた子供を亡くした両親の要望により、その写真は封印されたということです。撮影を決意する前から、写真の使用を望まなくなるまでの間、ご家族はずっと心穏やかではなかったでしょう。

アイリーンによるとユージンは生前、次のような言葉を繰り返し言っていたそうです。

「写真家には二つの責任がある。一つは被写体に対するもので、もう一つは見る側に対するものだ」(「写真はときには物を言う」――水俣を世界に伝えた米写真家の軌跡

アイリーンは、ご遺族の意向を尊重し写真の使用を中止されたのでしょう。ただ、今回これをまた映画で取り上げられた、そのいきさつはどうだったのか気になります。

ユージン・スミスが水俣に来たのは50歳過ぎ。20代から従軍カメラマンとしていくつかの戦地におもむき、一般の人が知り得ない現地の人々の姿を撮り続けた。若いころに戦地で負った傷による後遺症にずっと苦しみ、さらに水俣病被害者とチッソ労働組合の衝突のさなか暴行を受け重傷を負い、その後遺症に苦しみながらも撮影を続ける。そして59歳で亡くなりました。常に痛みや苦しみを抱えながら、写真を撮って人に伝える使命に命をささげた人なんだと心動かされます。

この映画を観て、水俣病問題と他の公害・薬害問題と共通する点について考えました。例えば、被害の実態は何年も後にならないとわかってこないことがある(ちゃんと調べられないため)、被害が認められずなかなか救済されない、責任問題があいまいにされる、なぜか困っている人をさらに差別する人たちがいる。同じような過ちが繰り返されるのは、それは人間の本性(ほんせい)なんだろうかと考えてしまいます。

MINAMATAの件をツイッターでつぶやいたら、フォローさせていただいている方が、『苦海浄土』(石牟礼道子著)という本があることを教えてくださいました。少し調べてみると、石牟礼さん自身が水俣の出身で、強い思いをもって水俣病に向き合われていたことがわかりました。この本は石牟礼さんと彼女が接した多くの患者さんの魂がこめられた作品であると感じました。文学作品としても大変評価が高く、これはぜひ読んでみたいです。

さらに調べている中で、原田正純さんという医師がいらっしゃったことも知りました。この方は医師としての強い使命感を持ち水俣病や他の公害病のために取り組んでおられました。患者への寄り添い方も大変心打つものがあります。この方の著書もぜひ読みたいと思っています。

この映画は、公開初日直前に知って、観たいなと思って観たのですが、これほど心に引っかかるとは思っていませんでした。水俣病患者やこの問題に真正面から向き合ってこられた方々の心をつかんで離さなかったもの、それが何なのか、残された言葉から知りたい、という気持ちになっています。

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