行く年。徒然。

わたし、というものが自分の内にできたのは、
2歳と少し経ったころかもしれません。
とても静かな、きめ細やかな明るい霧で覆われていた目の裏へ大きなお日様が現れた。
そんな思い出があります。

わたしというものが内に現れたときの強い光と、
これまでのまろやかな世界が終わった時の驚きは、鮮明で楽しい記憶です。

思い出なので物語のようなものですけれど。



赤ちゃんが指をしゃぶっているとき、その指と口が自分だと気づいていないように見えます。
(気付いた瞬間の表情は生命力に溢れていました)

体がどこからどこまであるのか、まだわからないように見えます。

撫でられることで、包まれることで、体の範囲が定まって落ち着くように見えます。

生まれたあとに少しずつ、体の範囲がわかり、私というものを得ていくのかなと思います。



きっとわたしは、プライドが高かったのだと思います。
他からの評価にいつも不満で、その割には具体的にどうすればよいかがわからず、閉じるか黙るか無視をすることで努力して頑張っているつもりだったのだと思います。
(これを中二病と呼んでます🎵)

本音も本心も自身の愛にも気づいていない私には、闇や大きな落胆というかたちで手助けがやって来ていることに気づくまでに、時間が要りました。

・あの人に、あんなことをされた、その私を赦す。

・自分が周囲から理解されないことを、私が理解する。

・自分の感情を見ているあなたは、私だった。


スピリチュアルの世界に(恐怖でガタガタと本当に震えながら)入ったあと、このような言葉で自分を癒し、気付きながら 今に至ります。

10年以上前、自分と私との別がついたように思います。

ランドヒーリングを通して、悪も聖も光も闇もすべて私だと納得せざるを得ませんでした。
私からおくられる光が分光して周波数別に在る。
恐ろしいものも清らかなものも自分の仲間で、周波数違いの兄弟なのだという理解をしました。

未来も過去も今も、ひとつの環に熱量として存在しているように見えます。
だから、今を生きたいと思います。

環の過去の熱量にある人達は、ずっと先の世に生きる誰かのことを思えた人達です。
命の使い方を知っておられたのだと感じます。



子供も大人も、個性に基づく表現方法を身につける。
教育や経営や組織運営や人材育成には、ぜひここを取り入れたいとおもっています。
個々の愛の表現を可能にする社会風土、当たり前であること、を残して生きて行こうと思っています。

各地を巡りながら土地の領主と交わした、約束でもあります。
星と宇宙と土地の願いを聞き方針を定めた人達がいて、各地の領主が土地と民を預かり、未来の繁栄と平安を思い道を作り山と川を整えた皆さんとの約束です。

人は自由になりますね。
楽しみです。

ミオウ



「感謝と応援の循環金」をありがとうございます。大切にお預かりして、次の世代、次の世界へつながるように渡していきます。