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いつもと同じに

高校時代から友達の花絵は、お菓子を作るのがとても上手だ。

ただ作るのではない。
少しでも体に良い物をと、工夫している。
小麦粉ではなく米粉を使ったり、ヨーグルトを混ぜたりと。

見た目も美味しそうだし、食べると
もっと美味しい。


「お菓子作りが上手い人って、心から尊敬する。本当よ」

「夏帆だって料理上手なんだし、お菓子も作ればいいのに。
悠真さん甘党なんでしょう?」


「うん。でもお菓子作りって、とても繊細で、少しでも量を間違えると失敗するでしょう?無理無理。大雑把だもの私は」


花絵は笑顔で訊いた。
「ハーブティーのおかわりは、いかが」

「ありがとう、頂く。なんだか花絵は、おしゃれな雑誌に載っている、[理想的な専業主婦代表]みたいね」

「うん、幸せよ」

「云わなきゃ良かった」

二人で笑った。


この会話をしている時、私は1人の女性のことを思い出していた。

元気にしてるだろうか。仕事は……




竹串でカボチャを軽く刺す。

「うん、ちょうどいい柔らかさで煮えた」

私は壁にかかる時計を見た。

「7時か。もう直ぐ悠真が帰って来る。そろそろ焼きますか」

冷蔵庫から塩コショーだけで味付けをした、鶏のもも肉を取り出す。


温めたフライパンにオリーブオイルを垂らし、贅沢にもまるまる一枚の、鶏モモを敷く。

  ジャアーーー!

ももの皮の方を置くと、音が凄い。
その音がまた、食欲をそそる。

焼き色が付いたら、肉を裏返す。
私は料理には大胆だな。自分ではそう思ってる。男の料理のようだ。

火を強火にして、肉の旨味が逃げないように焼いてから、フライパンに蓋をする。


ここからは、弱火にして中まで火が通るまで、待つだけだ。


バタン


夫が帰宅したようだ。
よし!タイミングはバッチリだ。

「ただいま〜」

「お帰り悠真。お疲れ様でした」

「ホイ、おみやげだよ〜ん」

「えっ、何だろ。あっ!この袋」

袋から、風呂敷に包まれた箱をそっと出す。解いてみると、更に高級感が増した。

「桐の箱だ。流石だね」

蓋を開けるだけで、緊張する自分に苦笑する。

「どうだ凄いだろう。千疋屋の[季節の果物詰め合わせ]だって。取引先からの頂き物なんだ」


「高いんでしょうね。後で値段を調べてみようかな」


「おっ!僕の大好物だ。鶏モモ焼き。いい匂いだなぁ。着替えて来るよ」

私はお肉をフライ返しで、ひっくり返すと、最後の蒸し焼きの為に蓋を被せた。


部屋着に着替えた悠真は、テーブルに着いた。

「準備完了。いつでもカモン!」

それを訊いて私は、炎を一気に強火にし、醤油をさっとかけて、火を止めた。


そして、お皿に乗せる。

「いい感じよ。外はカリカリ、中はふっくらだと思うよ。どうぞ召し上がれ。月に一度の贅沢だものね」

そう云って、悠真の前にお皿を置いた。
「あゝ、この香ばしい匂い。いただきまーす」

悠真は肉にかぶりついた。

そして口の周りを脂でテカテカさせながら云った。

「幸せだぁ〜」

溶けそうな顔の悠真を見ていると、こっちまで嬉しくなる。


「かぼちゃの煮付けも、食べてね」

悠真はチラリとかぼちゃを見た。

「悠真が苦手なのは知ってるけど、
今は野菜も高騰してるから、選んでられないのよ。スーパーに行ったら、これ一個だけが半額だったの。ラッキーでしょ」


「ラッキーか。いささか僕の胸にグサッと来るものは有るけど」

「どうして?」

「僕の給料が少ないからかなって
思ったりしたわけよ」

「そんなこと思ってない。そういう意味じゃないよ」

悠馬は黙ったまま、かぼちゃを口に入れた。


私もそれ以上、何も云わず、油で
ベトベトになったフライパンを洗い始める。

横から、カラのお皿がスッと出て来た。

「ごちそうさま。美味しかった。
それと、さっきはごめん。イジケた。かっこ悪いな自分」


「物価が高すぎるのよ。お給料には不満なんて無いわ。でも、半額を嬉しそうに悠真に話した私も、良くなかった。ごめんなさい。誤解させて」

悠真は私の肩をトントン叩き、
「夏帆もパートと家事のやりくりを
してくれてるのにな。イジけた男というのは最低だ」

悠真は、肩叩きとマッサージを、洗い終えるまで続けてくれた。



昼間、花絵と話しながら、思い出していた女性は、保険の外交員をしていた人だ。

40代の綺麗な人で、私の勤め先にも、たまに顔を出していた。


その日、昼休みから会社に戻ったら、他の社員たちは、まだ誰も帰っていなかった。

「当然か。お昼休みはまだ、30分も有るものね」

私は自分のデスクに着くと、コンビニで買った、インテリアや家庭菜園のことが載ってる雑誌を広げた。


どの写真も、自分が住んでる安アパートとは、かけ離れていた。

どこもかしこも、真っさらに輝いて、無駄なものは一切無い、生活を感じさせない部屋ばかりだ。

けれどインテリアに興味がある私は、写真を見ているだけで楽しい。


ページを捲ると、イラストレーターの女性が書いてる連載エッセイがあった。


「こんにちは〜。お邪魔致します」
その声の主は、保険外交員の仕事をしている、堀内さんという女性だった。

ガランとした部屋に私が一人。

「皆さま、まだお昼休みなのね。
ここ、座ってもいいかしら」

私の前のデスクは空席だ。
「大丈夫ですよ。座ってください」
と、答えた。

堀内さんは、私が開いていたページを見ると、顔が険しくなった。

「わたし、この手のイラストって大嫌い!」

と、急に怒り出したのだ。

私は、呆気に取られてた。

堀内さんは続けた。

「こんな洒落た生活。絵空事よ。
生活してくって、こんな綺麗なことじゃないわよ!」


私はエッセイのページを見てはいたが、読んではいない。ただ黙って堀内さんの言葉を訊いていた。

堀内さんは、ハッとして
「ごめんなさい、大声をだして」
そう云って私を見た。

私の実家も、このイラストからは、かけ離れいる家だった。
畳を新しくしたくても余裕がなく、
窓ガラスは割れた場所はガムテープが貼ってある。


そんな家で育って来た。
私は堀内さんに伝えた。

「私も堀内さんと、同じ感想です」
……と。


それを訊いた彼女は、驚くと同時に、見る見る瞳は涙でいっぱいになった。

堀内さんは、椅子から立つと、
「また寄らせてください。今日は失礼します」

そう云って部屋から出て行った。


後日、同僚の男性から、堀内さんは、ある会社社長の愛人をしていると訊いた。

20年前の出来事。
堀内さんはシングルマザーの女性だった。

愛人がいいとは云わない。

堀内さんが、好きでしてるとも思えない。
けれど。

彼女が精一杯生きていたのは事実だ。
それだけは、信じられる。今でも。



花絵が、泣きじゃくりながら電話をかけて来てから、5日になる。

大学教授のご主人が病院の集中治療室に運ばれたと。
校内で、背後から誰かに鉄パイプで頭を殴られ倒れていたところを発見された。

犯人は大学の生徒だった。単位のことで、教授と揉めていたらしい。

しかし教授の意識はまだ戻ってはいない。

「生存確率は低いです。残念ですが。
覚悟だけはしておいてください」

花絵は担当医から、そう告げられた。

病室に入れない。夫の傍に居たいのに。
今の花絵は、以前と別人のようになっていた。

やつれ果てた花絵の顔は、たった5日のうちに、皺がかなり増えた。

目の下には、濃いくまが出来ている。
艶々だった黒髪が、半分以上が白髪になった。

自宅に帰らず、無理に頼み込んで、花絵は看護師さんの仮眠室で夜を明かす。


看護師さんも、困っているのではないだろうか。

私は、ご主人の親族の方々に、後を頼むことにした。
そして嫌がる花絵を強引に車に乗せ、彼女の家に戻らせた。


「花絵、とにかく何か食べて。お願いだから。貴女まで倒れたらどうするの」


虚な目で空(くう)を見ている花絵の耳に、私の言葉は届いているのだろか。

私は冷蔵庫を開けて、使えそうな材料を探した。

数種類の野菜と果物がある。


今の花絵は、何も食べないだろう。
そう思った私は、ジューサーで生ジュースを作ることにした。

出来上がったジュースを、コップに注ぐと、花絵の手に握らせた。

「一口でも構わないから」

花絵は私の顔を見ていた。
それから自分の手が持っている、
コップに視線を移した。

私は祈るような気持ちで、花絵のことを見守った。


その時、ゆっくりだが花絵はジュースの入ったコップを、口に運ぶと、
コクッと飲んでくれたのだ。


私は思わず、泣いてしまった。

花絵は、小さな声で、
「夏帆、美味しいよ」

そう云ってくれた。

その後も、数回に分けて、花絵はジュースを全部飲んだ。


「花絵、30分でもいい。ベットに入って体を休めて」

花絵は「うん」
と頷く。

目の前の公園から、ラジオ体操の音楽が流れてきた。

花絵は窓の外を見て、
「いつもと同じ一日の始まりなのね」
そう云って私を見た。


「そうよ。いつもと同じ時間が、ちゃんと流れているのよ。私達にもね」


私は、【東日本大震災】の時のことを思い出していた。

来る日も来る日も、テレビは、
震災のニュースを伝え続けた。
24時間、ずっと。


皆さんはきっと、世の中の全てが震災に遭った気持ちになっていたと思う。

数日間、同じ状況の中、あるテレビ局が、アニメを放送してくれたのだ。


あの時、ずっと止めていた息を、ようやく吸うことが出来たような感覚を、今でもよく覚えている。


「花絵、今日もいつも通りに、時間は流れているよ。ちゃんと。
だから大丈夫。花絵も深呼吸をしてごらん」

花絵は小さく頷くと、顔を上げて
息を吸った。

数回、深呼吸をした花絵の顔色が、少しだけ正気が戻って見えた。

私は彼女を、そっと抱きしめた。

どんな時だって、いつだって、
日常は続いている。

それはちゃんと存在している。


その時、花絵の携帯が鳴った。

ご主人の意識が戻ったとの、病院からの電話だった。


自分が、どんなに生きる希望を失った時でも、変わらない日常はある。

それは誰にでも流れている。
今この瞬間にだって。


      了










































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