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 パイナップル

私と夫の将暉は、買い物をしにスーパーに来ていた。

相変わらず何もかもが高い。
ため息しか出ないので、考えないようにしているが。

フルーツコーナーの傍を通った時。


「果物なんて、随分と食べてないな」と夫が云う。


「この冬も、一度しかミカンを食べてないし。子供の頃は、冬と云えば、炬燵でミカンが当たり前だったけど。彩花もそうだろう?」


私は、一つ一つ果物の値段を指差して云った。

「ね?今や果物は、昔と違って高級品になってしまったのよ。気軽になんて買えないわ」


「確かに高いよなぁ」

怒ってるような、悲しいような顔で、夫は値段を見ている。


「あっ!」


「びっくりした。何だよ急に」

「パイナップルが、一個398円だって」

「彩花は好きだもんな。パイナップル」
将暉は、笑っている。


「以前は198円だったのに」

「何年前の話しだよ」


私はパイナップルの前から動かずにいた。

「買ったら。大好きなんだし」


「でも税金を入れると、400円超えちゃう」

「買いなさいよ。たまになんだから。その代わり僕はワインを買ってもいいよね。チリ産の安いやつ。
でも味は結構いけるんだ」


私は夫の話しは、ほとんど耳に入ってこず、思い切って、パイナップルをカゴに入れた。


「すごい覚悟が伝わるな。彩花の
顔から」

夫は、クスクス笑った。


「よし、保育園に星河(せいが)を迎えに行こう」

私たちはレジを済ませると、駐車場の車に乗った。


その日、夕食の後にカットしたパインを出した。

パインを食べた、星河は、
「甘いよ、お母さん!」
そう云うと、直ぐに二つ目を口に入れた。


「どれ、僕も」
夫も一つ食べた。

「うん、旨い。当たりだったな」


「本当に!良かった」



私もワクワクしながら、食べてみた。
甘い。やっぱり美味しいなぁ。
パイナップルは生が一番だと思う。

缶詰のはシロップが甘すぎて。
子供の頃は好きだったけど。


「でもさ、パインを食べてると、ベロがピリピリしてくるね」
星河が舌を出しながら話す。

「パイナップルには、タンパク質を
壊す働きをする、成分が入ってるからよ」


星河は、ポカンとした顔をしている。

「舌がピリピリするのは、舌に着いてる、たんぱく質が壊されてるからなの。星河は、舌苔って知ってるかな」


「知ってるよ。ベロが白くなってるあれでしょう?タンパク質で出来てるんだ」

私は頷いた。

「あの白いのは、汚いんだよね。それをパインが、綺麗にしてくれるんだ。へ〜」


「星河は、タンパク質って判ってないだろ」
夫がニヤニヤしながら云うものだから、星河は不機嫌そうな顔になった。


私はパインを口元に、持って行くと、少しの間、見ていた。

衛生面で、良いのは事実。
でもね、星河。いいところばかりじゃないのよ。どんなことも闇とセットなんだから。


「どうしたの。真剣な顔して」
夫がワイングラスを片手に、私の顔を見ている。

「ううん。何でもないよ。久しぶりの生パイン。やっぱり好きだな」

私はそう云うと、パインを口にポイっと入れた。




「彩花、彩花」

夫の声で、目が覚めた。


「うなされてたぞ。大丈夫か」

「あ、うん」

「何か悪夢でも観た?」

「それが覚えてないの」


時刻は午前2時に、なろうとしていた。


「汗かいちゃった。着替えて来るね。風邪を引いたら大変」

そう云って私はベットから出ると、

洗面所に行った。


パジャマと下着を脱いで、籐の籠から、洗濯した下着を取り出して、身につけている時、鏡を見てしまった。


真夜中に鏡を見るのは、怖い。

目を逸らそうとした、その瞬間。

会ってしまったのだ。


「汗をよく拭いてね」


鏡の中の女性は、優しくそう云った。

「……」

「わたしのこと、まだ怖い?こうして彩花ちゃんと会うのは3回目になるけど」


「だ……だって、貴女の存在が、
信じられなくて」

「それは前回にも、お話しした通り、彩花ちゃんのことを、ある時から、護って来たのが、わたし。怖がらなくて大丈夫」


「私を護って来たという貴女は、
私の御先祖様ですか」


少し透けた髪は長く、美しい女性だ。

「彩花ちゃんが、御先祖様だと思うなら、それでいいんです」


「違うんですか?それなら」

「わたしが何者なのかって、そんなに知りたいですか。好きなように捉えてください。天使でも、
精霊でも何でもね」


「悪いけど、天使も精霊も、私は信じていません。はっきり言って、御先祖様も、よく判りません」


その女性は、微笑んで、
「お化けでも構わない。ただ、わたしは彩花ちゃんのことが大好きだから、いつも傍にいて、護ってるだけ」



私は早くここから離れて、寝室に戻ることだけを考えていた。

下着は着替え終えたし、パジャマは寝室で着よう。


私はドアを開け、洗面所の灯りを消そうと、スイッチに指を乗せた。

チラッと鏡を見たが、訳のわからない[何か]は、もう消えていた。



「遅かったから見に行こうと思ったよ」

夫が、安心したように、そう云った。


「ごめんなさい。洗濯したパジャマが、見つからなくて時間が、かかっちゃった」

私は、そう云いベットに入った。


夫はジッと、私を見てる。

「何?どうしたの?」


「本当に、覚えてないの。彩花が見た夢」

「嘘なんて、ついてないわ。本当に起きたら忘れてたのよ」


夫が、疑っているのが判る。

「明日も朝早いのに、起こしてしまって、ごめんね。さぁ寝ましょう。
おやすみ将暉」


私は強引に、テーブルライトを消した。

横では星河が、ぐっすりと眠っていた。
良かった。起こさなくて。


夫も掛け布団を、かけた音がした。


将暉、本当は覚えてるの。

うなされた夢のこと。

でも、云えない。云いたくない。
嘘ついて、ごめんなさい。

おやすみなさい。


(お化けでも、いいよ)


誰なのよ、いったい。



  彩花、彩花。


「ん……」


眠っていた私は、薄らと目を開けた。

夫と星河が、立っていた。

「え、アッ!な、何時なの。起きなきゃ。星河のお弁当を」


「寝てていいから。星河は僕が、
保育園に連れて行く。
お弁当作るのも、今日は休みなよ」


「だって星河の昼ご飯が」

「ボク、パンを買うからいい。お父さんが買ってくれるって。好きなの選んでもいいんだ。やったー」


「そういうことだから、じゃあ行って来る。彩花は疲れてるんだよ。
今日一日、何もしないで、ゆっくりしてて。夕飯も弁当を買って来るからさ。では行きますか」

「アイアイサー!お母さん、行ってきまーす」


二人は、元気に出掛けて行った。


「じゃあ洗濯しながら、掃除を」

そう思ったが、せっかくなので、
今日は何もしないで、休ませて貰おう。
そう考え直した。


横になっていると、カーテンの隙間から、チラチラと、陽が差し込んでくる。

天気は良さそうだ。



私は夢のことを思い出していた。

泣きながら、父を責めてる自分がいた。

まだ、小学生の時だ。


犬を飼っていた。
正確に云えば、誰かが家の玄関先に、捨てていったのだ。

キャリーバッグ、の中の、その犬は仔犬ではなく、若い成犬のように見えた。


濃い茶色の犬は、不安そうだ。
そして、悲しそうにも映った。


今まで一緒に暮らしていた人間に、急に知らない場所に置いていかれたら、悲しいに決まってる。

(自分は、必要ないんだ。
いらないんだ)


私なら、そう感じただろう。


父が動物が、あまり好きではないのは、知っていた。

けれど私は、この犬が、悲しい顔をしなくても済むように、どうしても
してあけたいと思った。

二つ違いの兄も、同じことを思ったようだ。

だから兄と私は、必死になって父に、家で飼わせてくださいと、お願いし続けた。


父は、うんざりした様子で、許可してくれた。

「ただし、俺と会わせないように、しろよ」とだけ念を押された。


兄と私は、一つの部屋を二人で使っていたので、犬も同じ部屋で飼うと決めた。


「名前を付けよう」

兄と私は、色々考えた。
女の子の犬だったので、可愛い名前にしたかった。


二日間かかって、ようやく決まりそうになった時、お婆ちゃんが尋ねて来た。

お婆ちゃんは動物が好きな人だ。

そして……あれのことも。


あらぁ、可愛いワンちゃんだこと。

ここで飼ってるの?

次郎が、よく許してくれたわね。

まだ名前が無いって?可哀想に。

お婆ちゃんが、いい名前を付けてあげるわ。

え〜と、そうねぇ。



そうして、お婆ちゃんによって、名前が決められてしまった。



   【鹿の子】


お婆ちゃんが大好きな和菓子の名前。

私も兄も、心の中では、
「え〜〜〜」と、
抗議と不満の声を上げていた。


しかし、(きんつば)はどうかしら。

(草団子)もいいと思うけど。

などと云い出したので、仕方なく
【鹿の子】に決めたのだった。

”かのこ”

響きは、可愛いかもしれないし。


だけど鹿っておかしいでしょうが。

犬なんだから。


それから三年が経った時、私たち
家族は、引っ越すことになった。

この家を売って、マンションに住むらしい。


そして
ある日。


学校から帰ると、鹿の子の姿がない。

鹿の子が使っていた、水入れも、
ご飯を入れてた器も、鹿の子の物は全部、無くなっている。


私は動揺した。

なんで。どういうこと。鹿の子は。


その時、襖が開いて、兄が入って来た。

兄は、唇を噛み締めていた。


私は兄に訊くのが怖くなった。

でも訊かないと。
鹿の子のこと。



すると、兄のほうから話し始めた。

「彩花、鹿の子には、もう会えない」

「なんで、お兄ちゃん」

「鹿の子は、ここへは戻らない」


私は言葉が見つからなかった。

振り絞るようにして、
「どうして」と、兄に訊いた。


「お父さんが、鹿の子を捨てた。

今度住むマンションは、ペット禁止だからだからだって」


兄は泣き出した。

たくさんの涙が、畳に落ちても、涙が止まる様子はない。


どこに鹿の子を捨てたのか。


いくら訊いても父は、教えなかったそうだ。


鹿の子は、いったい何度、捨てられるの?

酷すぎる。

私も、お兄ちゃんと同じく泣いた。

ずっとずっと二人で泣いていた。



私の携帯が鳴ったので、それで目が覚めた。

「もしもし、彩花。具合はどうだ。
星河の迎えに行けそうか?
会社を早く上がって、僕が行ってもいいんだぞ」

「もうそんな時間なんだ」

「今まで寝てたの?やっぱり相当、疲れが溜まってるんだよ。よし、
お迎えは僕が行くから、彩花は休んでて。夕飯は僕が適当に買ってくから。じゃあ後で」


夕方まで寝ていたなんて。

自分でも驚いたわ。


(優しい旦那さんで良かったね)

アッ。

(彩花ちゃんが怖がるから、姿は見えないでしょう?)


……。


(わたし、本当に彩花ちゃんのことが大好き。お兄ちゃんのことも、とっても好き)


「兄を知ってるの?」


(わたしには、二人がとっても大切なの。彩花ちゃんのこと、怖がらせたくないから、もう姿も見せないし、話しをするのも、これが最後にするね)


「……もしかして、鹿の子なの」


(えへへ。これからも大好きだからね。忘れないでね)


「待って。なぜ私に姿をみせるように、なったの」


(誰のことも責めないでね。彩花ちゃん。特に自分を責めないで。
わたしは辛くなる)

「だけど、あんな」


(楽しいこと、いっぱい。嬉しいこと、いっぱい。暖かいこと、いっぱい。胸に抱いていくのは、そういうことだけなの。彩花ちゃん、ありがとう。これからも傍にいさせてね。
それじゃあ、バイバイ)


「鹿の子、待って!鹿の子」


暫く、私はベットに座ったままでいた。


「ただいま」

「お母さん、ただいまー」


その日の夕食は、夫の将暉が、
ポットプレートで、肉や野菜を焼いてくれた。

お土産まで買って来た。


「今日までだって。パイナップルが
398円なのは。だから買ってきた」


「お母さん、パイナップルの良くないとこってなに」

「食べ過ぎると、歯が溶けちゃうんだって」

「マジ!怖いんだね、パイナップル」


「だけど、食べ過ぎるのは、人間だから、考えたらパイナップルは悪くないよね」

「あ、そうか」



父は、誠実で優しい人だ。

だけど残酷なことも出来てしまう。


正に、光と闇を判りやすく見せる人だった。
年老いた今は、弱くなってしまったけど。




そんなに引っ張らないでよ、鹿の子。転んじゃう。

鹿の子は、散歩が大好きだものな。
嬉しくてたまらないんだな。


危ないって鹿の子。本当に転んじゃうよ〜。

だめだ、とまらない。


よし、次はボクが持つよ。

じゃあ、はい。

リードを手にした、その瞬間。
兄は勢いよく、田んぼに落ちた。


わー!鹿の子、お前のせいだぞ。

鹿の子は、不思議そうに私たちのところへと、やって来た。

だが、直ぐに走って行った。


全く反省してないな。

するわけないよ。鹿の子だよ。

それもそうだな。あいつは、おてんばだもんな。


あははは

   おてんば、おてんば


あー、リードを持たなきゃ。

鹿の子〜戻って来て〜


   鹿の子ーー


      了























  











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