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ずっと宇宙と一緒だった

  ボクね、絵本に出て来るような
  流れ星になって、この世界に
  やって来たんだ。



弟が、姿を消して5年近くになる。

捜索願いを出し、私自身、何度も警察に足を運んだ。

けれど今だに、何の手掛かりも無いままだ。

弟の櫂と私は2歳違いで、仲も良かった。



家出をした?

事故に遭った可能性は。
まさか、何かの事件に巻き込まれたとかーー。


この5年間、同じ思考が頭の中を、
ぐるぐる廻るようになった。


櫂は33歳の時に、いなくなった。

生きていれば、今は38になっている。


 生きていればだなんて、
 微塵も思っては、いけないのに……



「飛鳥、どうかした?」

夫の悠馬の声で、私は我に帰った。

「櫂くんのこと?」

「……うん」

「いったいどこに行ったんだろうな、櫂くんは。僕も知り合いが居る土地には、櫂くんの写真を送ってあるんだ。もし見掛けたら、直ぐに警察と僕に連絡をくれって。だが……」


悠馬はそう云い、悔しそうな顔を見せた。

「お茶を淹れるわね」

私はテーブルから離れると、食器棚から、急須と湯呑み茶碗を取り出した。

時計に目をやると、23時を指している。


悠馬は、カフェインに弱い。
そして下戸なので、お酒は飲まない。

急須に少しの茶葉を入れ、湯沸かしポットのお湯を注ぐ。


湯呑みには、申し訳程度の緑色をしたお茶が入り、それを悠馬の前に置くと、私は夫の手を握り締めた。


「ありがとう。色々と迷惑かけてしまって、ごめんなさい」

そう云った。


「家族なんだ。当然だろう?」
悠馬は、笑顔で私を見ると、薄いお茶を口にした。

私を元気づける為に、無理して作った笑顔なのは、直ぐに判った。


    お姉ちゃんも、
    ボクと一緒に
    宇宙へ行こうよ。
    すごくキレイなんだ。



(僕は、あの子のことを、真剣に考えてる。結婚のことも)

櫂は、科学と天文雑誌の会社で、編集者として、真面目に働いていた。

その弟が変わったのは、接待で初めてキャバクラに行ってからだ。


それまで勉強ばかりで、女の子と、付き合ったことがない弟は、キャバクラの女の子に、本気になってしまったのだ。

貯金はみるみる底をつき、サラ金で借りてまで、櫂は店に通い続けた。


(櫂、目を覚ましなさい。あっちは
プロなの。
恋は恋でも、金持って来いって云うでしょう?)

私が幾ら櫂をさとしても、弟は信じなかった。


(姉さんは、彼女のことを、何も知らないだろ? ああいう仕事をしていても、たくさん苦労して来たし純粋な女性なんだ)

(なんで、そんなことが櫂に判るのよ。相手が自分で何か話したの?
そんなこと、信じちゃいけない)

(違う!彼女じゃない)


(いったい誰に、何を訊いたの?)

(誰でもいいだろ。もう行くから)


(待ちなさい。ちゃんと話してよ。
櫂、櫂!)



そして

サラ金で首が回らなくなった櫂は、
とうとう会社のお金に手を付けてしまったのだ。

両親は自分たちの住んでるマンションを売却。

全額返済に当てた。

自分たちの息子が、働いていた会社に、幾度も出向き、土下座をし、頭を床に擦り付け、何度も何度も謝罪をした。

そのおかげで、会社は警察沙汰には、しなかったのだ。


無職になった櫂は、それでもまだ、キャバクラの女の子を信じて、バイトをしては、店に通った。

僅かなお金しか店に落とさなくなった櫂を見て、その女の子は、
ガラッと態度を変えた。


「お金の無い男なんて、わたし大嫌いなの。もう来ないでくれる」

櫂が結婚まで考えていた娘に、
そこまで云われ、店を放り出された弟は、数日後に姿を消した。


抜け殻のようになってしまった父と母に、悠馬は同居しましょうと、云ってくれた。

だが両親は首を縦には振らずに、山奥にある空き家を借りて暮らすことを選んだ。


 でも、宇宙は真っ暗なんでしょう?
 ワタシは行かない。
 だって怖いもん。

 
  違うよ、お姉ちゃん。
  真っ暗じゃないよ。

  いつも、どこかが光ってるんだ。

  だからね、怖くないんだ。

  それにボクも一緒にいるよ。


   本当に?

   真っ暗じゃないの?

   何で、どこかが光ってるの。


   忘れちゃった。

   だからまた行くんだ

   今度こそ、忘れないように
 



ある日、私が仕事から戻り、玄関の鍵を開けていた時、携帯が鳴った。


「もしもし、谷です」

「谷さん!ご無沙汰しています。
あの時は本当に、ありがとうございました」


「いえ、何のお力にもなれなくて。
櫂の行方は」

「それが、まだ何も……」

「そうですか。飛鳥さん、必ず櫂は帰って来ます。信じましょう」


「はい。ありがとうございます」


谷さんは、櫂と同じ会社の同僚だった人だ。
今回のことがあってから、何度か連絡を入れてくれる。

私や両親のことを、心配して……。


もう会社にいない、弟のことを、今も心配してくれる人がいる。
そのことが、本当に有り難かった。


夕食の後、私が片付けをしていると、
「やっぱりロマンだよなぁ」
と云う、悠馬の声が訊こえた。

リビングに行くと、悠馬がテレビを観ている。
そこには、種子島でロケットの打ち上げがあったとのニュースが流れ、その様子が画面に映っている。


「一度でいいから宇宙に行ってみたいよ」

「私は行かないな」

「どうして。きっと綺麗だぞ〜。それに、UFOにも遭遇するかもしれないよ」


「だから行きたくないのよ。悠馬は怖くないの?」

「全然。想像しただけで、ワクワクするよ」


   お姉ちゃん、ボク、大人に
   なったら、宇宙飛行士になる。

   もう決めたんだ。

   
  

「櫂もね、宇宙飛行士になるんだって、ずっと云ってた」

「櫂くんの気持ち、判るよ。宇宙は
ロマンなんだよ。特に男の子にとっては特別なんだ」


「あ、今のは差別だと思うわ。
宇宙飛行士になった女性だって、何人もいるんだから」

「そうでした。反省します」


櫂は本気で、宇宙飛行士に、なりたかったのだと思う。

大学も理工学部に行き、地学や
宇宙・地球学など、将来役に立ちそうな学科を学んだ。


だけど櫂の中で、宇宙飛行士になる夢は、諦めたんだと思う。
それでも、宇宙への情熱は持ち続けていた。

だから、天文雑誌の編集者に、櫂はなったのだろう。




「あの、すみません」

日曜日、私と悠馬は買い物をしに、ショッピングモールに来ていた。

すると知らない男性が、遠慮がちに、声をかけて来たのだ。


「はい。なんでしょうか」

「突然すみません。もしかしたら、西野櫂さんの、ご家族の方ですか」


驚いた私は、黙ってしまった。

「どちら様ですか」
悠馬が訝しげに、尋ねた。


その男性は、萎縮してしまったように見えた。
だが、覚悟を決めたようだ。

「僕は西野君と、同じ部署で仕事をしていた平田といいます」


「平田、さん……」

「はい。驚かせてしまい、申し訳ありません。西野君の、お姉さんですよね。何年か前に、櫂くんと一緒にいるところを見掛けたことがあります」

「……そうですか」

私は身構えていた。
まだ、この男性を信用したわけじゃなかったから。



「櫂くんは、まだ?」

「はい、まだどこに居るのかも、判らない状況です」

私の言葉に、平田さんは、いっそう心配そうな表情になった。


「お辛いですね」

「……」

「実は、ずっと悩んでいましたが、櫂くんのことで、お姉さんに、伝えておこうと思いました」


「櫂のことで」

平田さんは、頷いた。

「あの、どういったことでしょうか」

私は訊くのが怖いと思った。
だが、訊かないと、いけない。
何故か、そう感じた。


「谷 順一という男を、ご存じだと思いますが」

私の体が、小刻みに震え始めた。

「谷さんが、何か」

やっとのことで出た言葉。


「飛鳥、顔が真っ青だ。大丈夫か。
平田さん、いま訊かないといけませんか。妻の様子が」

「大丈夫よ。私も訊きたいの」


悠馬は、心配そうに私を見ていたが、
「判ったよ」
そう云って、私の手をぎゅっと握った。


「お姉さん、本当に大丈夫ですか」

平田さんも、不安そうだ。

「はい。お願いします」


「アイツは、谷は櫂くんのことを、会社から追い出した人物です」

「櫂を追い出した。谷さんがですか」

信じられなかった。
あの谷さんが櫂のことをーー。


「何故でしょう。谷さんは、どうして櫂のこと」



「ひとつは、自分の昇進の為に。

もう一つは、谷が櫂くんの才能を妬んでいたのが理由です」


「だけど谷さんは、今も櫂のことを
心配してくれて……」

「云いづらいですが、様子を伺っているのだと思います」

私は、平田さんの言葉を、信じることが出来ずにいた。


すると悠馬が平田さんに、質問をした。

「櫂を、会社から追い出した。そう云いましたが、具体的には何をしたんですか、谷さんは」

平田さんは、私に同情しているようだった。

「これは、虐めには有りがちなことですが、谷がでっち上げた櫂くんの悪い噂を、わざと社内で流し、特に上司には、かなりの嘘を、吹き込んでいたようです」


「……」


「だけど、谷が櫂くんにしたことの中で、僕が一番許せないのは、キャバクラ嬢の嘘の生い立ちを、谷が櫂くんに信じさせたことです」


平田さんの拳は、怒りで小刻みに、
震えている。

「櫂くんの将来を、ヤツは潰したんです」

私は悠馬に支えてもらい、やっと立っていられた。


「飛鳥、どこかで休もう」

悠馬は私にそう云うと、平田さんに伝えた。


「平田さん、僕らに教えてくれて、ありがとうございました。
だけど櫂の将来は、潰されてなどいません。櫂は必ず起き上がる。
そう信じています」

悠馬は平田さんに、そう告げると、
会釈をして、私を抱き抱えるように、歩き出した。

私は、ゆっくり振り返り平田さんを見た。

彼は深々と、私たちに頭を下げている。

涙を床に落としながら……。


私は、広場のベンチに腰を下ろした。

「何か飲み物を買って来るから」

一人になった私は、何にも考えられず、糸の切れた、操り人形のように、そこに居た。


バックに入れた、携帯が、着信を知らせている。

私はゆっくりと、視線を下ろした。

えっ。

私は急いで電話に出た。


櫂は、無言だった。

私も言葉が出て来ない。
すると、櫂は、

「姉さん……ごめん」

やっと聴き取れる小さな声で、そう云った。

私は涙が止まらずに、泣き続けた。

「飛鳥!どうかしたのか」
悠馬が、駆け寄って来た。

「櫂から……」

それだけが、やっとだった……。



5年ぶりに見た櫂は、かなり痩せて、髪も伸びていた。

5年の間に、色々なことがあったことを、櫂の痩けた頬からも伝わって来る。


母は、櫂の顔を見ると、泣き崩れた。

父は最初に櫂を見た時、拳で頬を殴った。
力が弱くなっているのが判り、私は見ているのが辛くなった。



櫂はいま、民間のプラネタリウムでスタッフの一員として、働いている。

投影するプログラムの、監修や制作などの仕事で、櫂に合った仕事だと、私は思っている。

櫂自身も、仕事が楽しいようだ。


けれど、櫂には夢があるらしい。

「秘密だよ」

そう云って、教えてくれないが。


「やっぱり宇宙飛行士を、諦めてなかったのかもしれないよ」

「そうかもしれないね」


冬の澄み切った星空は、櫂のことを、ずっと待っているのかもしれない。

常にどこかを、光らせながら。


      了




















































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