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透明な世界・彩りの世界

20××年の汗ばむ頃、私は娘の真亜(Ma)を連れて小川に沿うように歩いていた。

日暮らしが鳴いているのが、近くの樹から聴こえてきた。

「今年、初めて聴いた、日暮らしが鳴くの」


「えっ?お母さん、何て云ったの?」

「蝉さんが鳴いてるなって云ったのよ」

「蝉さんが?ズルいよ。真亜には聴こえなかった」

「もうすぐ五月蝿いくらい、真亜も聴けるわよ」


納得してない真亜が、プ〜ッとほっぺたを膨らます。

「そんな顔をしたら、元に戻らなくなっちゃうかもよ」

慌てて真亜は、膨らますのを止めた。


「お母さん、喉が渇いた」

私はママさんバックから、持って来た水筒を出して、中の麦茶をコップに注ぐと、ひたいから汗が流れている真亜に渡した。

真亜は喉を鳴らして麦茶を一気に飲んだ。

「美味しかった?」

私の問いに、真亜は笑顔で大きく頷く。


娘は小学2年生だ。

私は、しゃがむとフェイスタオルで真亜の顔を拭いた。

「あのね、ちめたかったの」

「ちめたいじゃなくて冷たいでしょう?」

「知ってるもん。だけど今の麦茶は、冷たいんじゃなくて、ちめたかったの」



よお分からんが、いいでしょう。


「お母さん、どこに行くの?」

「お母さんの、お友達のとこよ」

娘は、ふ〜んとだけ云うと、いきなり

「あっ!真亜にも蝉さんの声が聴こえた!」


「良かったね、イェーイ」

ニコニコ顔の娘とハイタッチ!


しっかし暑いな

まだ真夏でもないのに でも

もう何年も前から、日本は亜熱帯になったのだ

それなら仕方がないか


「よし、着いた」

「ここにお母さんのお友達がいるの?」

「そうだけど、いるかなぁ。直ぐにあちこち出かけるから、あの子」


私は何回もインターホンを押したが、やはりどこかに行ってるようだ。

「いないの?お母さんのお友達」

「そうみたい。お土産を持って来たのに……

そうだ!ねぇ真亜はもう少し歩ける?」


「えっとねぇ、あとでフジ屋のパフェを食べられるなら歩ける」

「仕方ない、フジ屋に寄ろう」

「やったあ!お母さん、早く行こう」

少しの出費くらい仕方ないか。

私は真亜と手を繋いで再び歩き出した。


お願い、居てちょうだい!

数歩しか歩いていないのに私の背中を汗が流れるのを感じる。

シャワーを浴びたい!


タオルで真亜と自分の汗を何度も拭きながら歩いていたら、なんとか、目的地に到着。

祈る思いでまたインターホンを鳴らす。


「はい。どちらさま?」

「私よ、良かった〜居てくれた」

「もしかして、莉子?」
「そう、夢羽(むう)暑いよ〜」

「待ってていま行くから」


玄関から夢羽(むう)が飛び出して来た。

「どうしたのよ突然、びっくりした、あら真亜ちゃんも一緒なのね。いま門を開けるわ」

そういうと夢羽(むう)は門の鍵を開けてくれた。


「真亜ちゃん、また背が伸びたね」

夢羽にそう云われ、真亜もまんざらではないようだ。

「あっ家に入って。外じゃ熱中症になっちゃう」

私と真亜は遠慮なく家の中に入らせてもらった。


エアコンが良く効いている。

汗が引くのが分かった。

「莉子はアイスコーヒーのブラックでいいよね」
「もちろん、ありがたいわ」

「真亜ちゃんは何にしよう。オレンジジュースくらいしかないのよ」

「真亜はオレンジジュースが大好きなの。ね」

「大好き!」

夢羽(むう)は笑ながら、トレーに飲み物を乗せて運んでくれた。


夢羽はメンタル系の病気を持っている。

それは私も同じだし、今の世の中では珍しくなどない。

そんな夢羽には娘さんがいる。

その娘さんは夢羽とは別の病いを持つ。


「すごいよ、夢羽は」

「え?何か云った?」

「なにも。美味しいアイスコーヒーだね」

そういうと夢羽は嬉しそうな顔をした。

「お酒も呑まないし、コーヒー豆くらい少し贅沢してる」

「うん、いいと思う」


「そうだ、忘れない内に」

私は持って来た友達に渡す予定だったお土産を夢羽に渡した。

紙袋を覗いた夢羽は微笑んだ。

「“福寿”か。好きだものね、彼女はこの日本酒が。それなのに、どこに行ってるのやら全く」


    一人の時間は好き
    孤独は嫌い


彼女の言葉。私も同じだよ。そう思った。

夢羽と世間話をしていたらアッという間に夕方になっていた。

「悪いね夢羽。買い物に行くんでしょう?」

「冷蔵庫は、カラッポだしスーパーに行くよ」

「それなら一緒に出よう。彼女へのお土産、助かったわ」

「あのお酒、彼女が大好きだから、その内匂いを嗅ぎつけて必ず来るわよ。ちょっと着替えてくる。待ってて」


夢羽はそういうと二階へ行った。

「夕飯かぁ。家は何にしようかな」

「お母さん!」

「え、なんで怒ってるの」

真亜が、またふくれてる。

「約束したよ」

「約束?あゝフジ屋でしょう。忘れてないよ。

パフェはいいけど、夕飯は作らないと。お父さん、泣いちゃうかもよ」


「夕ご飯はコロッケがいい!」

「今からコロッケを手作りする気にはならないなぁ。お惣菜を買ってくかな」


「お待たせ。じゃあ行こうか」

着替えをして夢羽が降りてきた。

「そうだね、行こうか。アイスコーヒーとオレンジジュース、ご馳走様」

夢羽は笑いながら、

「お礼を云われるほどの、おもてなしも無くて」


「あれが1番欲しかったのよ、喉がカラカラだったから。サンキュ。では行きますか、真亜、行くよ」

「お母さん、見て」

真亜は空になったガラスのコップを指差した。



私は言葉が出て来なかった。

それほど、ガラスのコップは美しかったのだ。

虹色

そんな軽い表現ではなく、もっとなんていうか

世の中に存在する全ての色が集まっている、

それくらい綺麗だと思った。


夢羽が、反射してテーブルに写っている影を見て

「ガラスのコップと同じにテーブルに写っているこれも輝いてる。両方とも綺麗」

「本当だ、これも綺麗」


形を持つコップ

形を持たない反射の輝き


美しさは同じだった。


「お母さん、泣いてるの?」

「あまりにもキレイだから泣いちゃった」

そう真亜に云った。


私たちは買い物をしに歩いている。

「真亜がコロッケがいいなんていうのよ。

揚げ物って結構、手がかかるじゃない?

だからお惣菜を買おうと思って」

「確かに揚げ物は面倒だよね。私も簡単なのにしよう。あれ?真亜ちゃん?」


夢羽に云われて気づいた私は振り返った。

真亜が立ち止まって頭を触っている。

「どうしたの真亜」


「誰かに頭を撫でられたの」

「撫でられた」

「うん、いい子いい子って声がした」

私は夢羽を見た。

微笑んでる。


  あなたはこの辺りにいるのね。

  「福寿」持って来たよ。

  夢羽に預けたから。


嬉しい。ありがとう。どこか外国に行ってくる。

   外国ってどこに?

まだ決めてないけど、どこかの国。

   大雑把だなぁ

うん、私って考え込むタイプじゃなかったみたい。行ってくるよ〜


私は真亜と夢羽と、また歩き出した。

「福寿は当分先みたいよ」

「そうみたいね」


私たちは笑いながら、西陽に向かって歩いた。


       了






 





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