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もうニャオハには会えない。

みなさんは、ニャオハをご存知だろうか?

ニャオハ

現在放映中のポケモンのアニメに登場するキャラクターである。

ポケモンアニメ、私はあまり真剣に見ていないのだが、次女が熱心に見ている。
その為、一緒に見るように促されるため、たまに見ている。

なので、
「ニャオハが可愛い」
ということは理解していた。

で、先日。
アニメを見ていた次女が

「ニャオハが、ニャローテに進化したよ!」
「ママも見て!」
とテンション高く教えてくれたのだ。

その時、瞬時に思ったこと。

「え、進化しちゃたの?」
「もうあの可愛いニャオハには会えないのか」と。

******

ニャオハが、いずれニャローテに進化することは知っていた。
以前ポケモンセンターで、ニャローテのぬいぐるみを見かけた時は、ちょっとショックだった。

だって、ニャローテってちょっといかついから。

ニャローテ

ニャオハの方が、かわいいじゃん。
あのクリクリの目はどこに行ったのさ。

と、ちょっと悲しい気持ちでいた。

ところが、次女はとてもうれしそう。
ニャローテに進化したことを喜んでる。

アニメを良くみてみたら、パートナーのリコも喜んでいた。

左がリコ。ボディバッグ(?)のフィット感にいつも目が行く。


そりゃ自分のパートナーであるニャオハの進化は、嬉しいに決まってる。

私だって、「子どもの成長」という進化はうれしい。そりゃうれしいよ。

それなのに、
なぜニャオハ→ニャローテの進化は素直に受け入れられなかったんだろう?

それはおそらく、私は冒険の過程を真面目に見ていないからである。
ニャオハという可愛い見た目にしか、目が行っていない。ルッキズムに支配されている人、そのもの思考である(?)

リコも次女も(いや、並列にするなよってツッコミはなしで)、ニャオハの成長をずっと見守ってきた。
なので、そんなニャオハが進化したことは、見た目など関係なく素直にうれしいのだろう。

以前読んだ、北野武の本に
「過去を振り返って懐かしむのは、老人の発想」と書かれていた(笑)
(うろ覚えだけど、ニュアンス的には間違ってないかと)

「もう可愛いニャオハには会えない」
なんて思ったのは、まさにそれなのかも。

過去を振り返るより、未来に目を向ける。

ちまたに溢れていそうなフレーズだけど、本当そうだよなぁと。

ということで
ポケモンから、自身の老化に気が付く…というなんだそれw な話でした。

〈あとがき〉
ニャオハもう見られないんだね…とつぶやいていたら
「アマプラでいつでも見られるよ」と次女が教えてくれました…。そうだよね、いつでも会えるよね!
今日もありがとうございました。

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