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都会では両手を伸ばせない、の意味が分かった火曜日。

先日、娘たちがEテレ「マチスコープ」を見ていた。

「マチに合う緑」というテーマで、街路樹が特集されていた。

確か渋谷区のそれが紹介されていて、道の通行に邪魔になる枝は適宜切られている、という話。

ちなみに、なぜ切られるか?は
こちらを参照↓

Q なぜ街路樹の枝を切るのですか?

A 樹木全体に日照や通風を確保して健全に育て、並木としての形や個々の樹形を整えるために枝の切除を行っています。この作業を剪定(せんてい)といいます。また、枝が伸びすぎて道路交通や市民生活に支障とならないように良好な状態を保つことも重要な目的のひとつです。

出典:京都市情報館

で、これを見て思ったこと。

「都会では両手を伸ばせないって、これか!!」

は?

私は、何を言っているのでしょうか?

吉井さんのソロ曲「CALL ME」に
こんな歌詞があるんです。

枝切られる 枝切られる
都会では両手を伸ばせない

だから何を抱いていいのか
わからなくなることあるんだ

YOSHII LOVINSON「CALL ME」

この歌詞、都会の街路樹のことだったのかーと。

いや、正確にはそこから抽象化して
もっと深い意味があったりなかったりするんだろうけど。
知らんけど。

「あ、吉井さんが歌ってたのってこれか〜」
とピンと来たのです。

******

こんな風に、
「あの歌詞って、こういうことだったのか」
と、ふとした瞬間に気がつくことってありませんか?

今、パッと思いつくものがないのですが(ないんかい)

歌詞じゃなくても
そうだなぁ、人に言われた言葉とか、本で読んだ話とか。

触れた当時は分からなくても、時間を経て
「あーそういうことだったのか」
と理解したり。

そう考えると
「分からないもの」を、「分からないまま」にしておくことも、悪くないのかもしれないなと。

なんだっけ?
ネガティブケイパビリティ?

人ってどうしても問いに対して答えを出したくなりがち。

でも、答えの出ない問いなんて山ほどある。
だから、モヤモヤのまま持つことも大事だよ、みたいな話だったかと。

******

ということで、

ふとした瞬間に、ひょっこり答えが出てくることあるよね〜って話でした。

<あとがき>
タイトルの元ネタが分かった人、いますかね?
バスの揺れ方で人生の意味がわかった日曜日〜♪
今日もありがとうございました。




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