出会いは 自分が光を見つけること
「出会う」というと、二人が同時に知り合うイメージ。
だけど、よく考えてみると ちょっと違うと私は思います。
「出会い」。それは「いい出会い」のことを指す。
「いい出会いだった」
とは言うけれど
「悪い出会いだった」
とは言わない。
「出会い」を自分なりに、捉えてみます。
知り合う
例えば同級生。
出会いはクラスが同じになった時。
でもただの同級生だけでは、「出会った」とは言わない。特別な一人のことを指して「君と出会った」となると思う。
「出会い」は どちらかが
「あっ」
と思ったことから始まる。振り返ってみると 自分でも「出会い」と認識するのは相手のことを「特別だと思った瞬間」があるから。
逆に自分の中の「小さな光」を見つけてもらえたから 始まることもあるかもしれない。
ということは、名前を忘れてしまってる同級生のことは、「出会った」ではなく「知り合った」というのかな。
出会う
「出会った」という時は必ず「特別」の要素あって、奇跡とすら思えるようなもの。自分が先に「出会った」と思う時もあれば、相手が先に自分と「出会った」と思うこともあると思う。
何か自分にとって、キラリと光るものを相手の中に見つけた瞬間。それは、共感だったり、やさしさだったり、強さだったり、能力だったり、心が掴まれる瞬間。
いずれも振り返って「あの時が出会い」と思えるようなものだと思う。分かるのに長い年月がかかることもあるかもしれない。今この瞬間に「出会った」と思えるようなことってない。
出会ってしまった
では、「出会ってしまった」。この場合は、今この瞬間に感じるニュアンスがある。探していたような理想の相手に「今、出会ってしまった」。
稀に、二人が同時に「奇跡の出会い」だと思う瞬間もある、らしい。実体験ではないけれど。
自分から見つけたい
「出会い」がどちらかが 相手の光っているところを見出すこと。
だとすると──
自分からそれを探しに行きたい。
「あ、この人は長く付き合えそうな人だ」
「この人なら自分を分かってくれそうだ」
「自分にはないものを持っている」
「なんて、やさしい!」
どこに通じるものを感じたのか。どこに、自分にはないものを持っていると感じたのか。
どこか魅かれるところがあって、それを「出会い」と認識する。
果てしない たーくさんの一瞬の中で
自分から光を見つけに行こう。
「出会えた」と思えたら、その人を大切にしよう。
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