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残る言葉、見えなくなる言葉

 Twitterに書いて数日経つと見えなくなる言葉。
 何年経っても古くならず 読み継がれる言葉。

 著名な人の言葉ではなくとも、同じ自分の言葉として書いているのに、例えばそれを詩にすると「作品」と呼ばれることがあったりするから不思議。

 書き方によって、言葉は後々まで残ったり すぐに見えなくなってしまったりするなぁ、と思ったことを書いてみます。

どっちも書いてるから思うこと

 思ったことを書くツイートも詩も、どちらも書いてて感じることがあります。
 日々過ごす中で思いついたことをツイートや、詩にしている訳ですが。それを詩として少し整えて書くと読んでもらえる人が少し増えます。

直接的ではなく

 詩に書くときは言いたいことを「こう思う!」と直接的には言わないような書き方にしています。言い切らないから読む人がどうとらえるかは自由。
 直接的に書かないからこそ、書ける気持ちがあったりするから面白い。言葉にして自分の中にしまっておけばいいものを、わざわざ人目に触れるように書きたい気持ちってなんだろう。ちょっと聞いて欲しい気持ちもあるんだろうな。

 詩にする時はリズムを整えるようにだとか、きれいな風景が浮かぶようにだとか、多少気にして書きます。毎日書いているから、生活する中で感じたことをベースに書いたり、日々の何かがきっかけで思い出した以前のことを書いたりしています。
 詩の中でもTwitterの詩はタイムラインから遠ざかって見えなくなっていく点では、書籍になる詩と違って一過性が強いのかなと感じます。忘れられていくものかな。だけど「Twitterの詩」だからこそ書ける気持ちも多いな。「言葉にしないと消えてしまうから、書いておこう」という想いがあります。

直球で書く

 実名で書いてるツイート。こちらも日々過ごす中から。こちらは「これは話してみたい!」と思うようなことをツイートしています。簡潔にまとめて伝わるように気をつけたりする。直接的。
 「こう思う!」って書きたくなる時もあるのです。

 ほぼ定期的に書いてるので、ネタがなくても何かしら探して書きます。「探してる状態でいるのが好き」ということでもあるかなぁと思います。

言葉が見えなくなってしまっても

 自分から発する同じ「言葉にすること」なのに、違いがあるって面白い。タイムラインからすぐに見えなくなってしまうのだから、そんなに時間を割いて書かなくてもいいのでは、とか、むしろ書く必要もないのでは、という声が聞こえてきそうです。

 この同じ短い文章でも「詩として書くと、長い期間残ることもあるのに、ツイートの言葉だと過ぎて行ってしまう」、ということを詩仲間にふらっと話したことがあります。すると「作品になることが全てじゃない」「消費されてしまってもいいのでは」と返してくれて、「そっかぁ!!」とやたらと腑に落ちたのでした。いい言葉をもらった。改めて記しておきたいと思ったのでここに書いています。

どちらにしても 言葉にしたい

 詩誌に投稿する詩と違ってTwitterに書く詩は日々更新され薄れていく。日々感じたことを書くツイートも瞬時に古いものになっていく。だけどそれでも言葉にしたい。
 
 伝えたいから書く気持ち。
 自分がスッキリしたくて書く気持ち。
 今の気持ちを記しておきたい。
 「これはこう思う!」って直接的にも。

 やっぱり書いていたいんだなぁ。
 どれもこれも、自分には必要だから書いてるんだなー

 それに。書くだけではなく、受け取ることもしたい。長く受け継がれる書籍の言葉も、流れていくのを瞬時にすくい上げる言葉も好き。

 言葉との出会いはやっぱりいいな。



 

 

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