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「空気を読む」ということ

日本一(世界一?)「空気が読めない男」と「空気が読める男」のコラボ動画。昨日は、1日中、不覚にも何をしていてもフラッシュバック。悶々と考えてしまった。

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空気を読む力は、脳の内側前頭前皮質がになう部分が多いらしい。

この部分は、自覚していなくても、自分の周囲で起こっていることを常にモニターしており、自分と関係の深いことであればできるだけ素早くこれを検出して反応させようと準備しています。自分の関連がある一定の値を超えると、そこへ自動的に関心が向くようにスタンバイしているというわけです。
5年前にはさほど問題にならなかったことが、不適切であると過剰に避難を浴びたり、2年前にカッコよかったものがあっという間にダサくなってしまう。こうした消費サイクルは、内側前頭前皮質と自意識の関係からさらに研究が進んでいくことでしょう。

怒りを隠した中庸のメッセージは、良くも悪くも今回のように意図せず政治利用をされてしまうことがある。その顕著な例となった。個人的には、イデオロギーの表明をしないことが主流だった日本のアーティストやインフルエンサーのあり方が一気に変わる潮目になるかもしれない、と思う。

これに関しては、“良い娘ちゃん像”に縛られていたテイラー・スウィフトが「個」として覚醒をするドキュメンタリー『ミス・アメリカーナ』を是非観ていただきたい。

ちなみに、今のところ、私が一連の #うちで踊ろう 動画の中でのお気に入りは以下の2本。「空気を読んでなさそうで読んでいる」(いや、その逆なのか!?)、絶妙な2本だと思ってニンマリしている。 


「空気を読む」と言えば、アップルとグーグルが、新型コロナウィルス対策での協業を発表。同じ目標があるならば、敵も味方もないという恊働の感覚。なされるサービス自体にももちろん注目したいが、しのぎをけずっていた両者のタッグにこそ、なんだか胸熱になってしまった。

さらに、ボリス・ジョンソン英首相の退院スピーチ。


そして、深夜のボッチェリ世界同時配信。

最も甚大な被害が出ているイタリアから世界へ。人がほとんど歩いていない各国の都市の映像が挿入されながら、ミラノのドゥオーモ大聖堂の中でオルガンの音とともにひとり歌うボッチェリ。最後は、大聖堂の外へ出て、アカペラで『アメージンググレース』。

もちろん、歌い終わっても喝采は聞こえてこない。ただただ、夜更けに涙がこみあげてきた。


怒るべき時に怒る。泣きたい時には泣く。

空気を読んでいつもニコニコ楽しそうにしている必要はない(そうありたい、とは別の話)。

茨木のり子さんではないが、「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」をいつでも胸に。



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