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マスクにまつわるエトセトラ

ポルトガル『VOGUE』の4月号。仕事が早い。数週間から1ヶ月前に最終決断をしないといけないことを思うと(もちろん撮影はその前に)、定期刊行物でこの対応をするのは、「神業に近いな」と思う。出版物は、インターネットとは違いタイムラグができるため、早さでは叶わないことが多いけれど、「メッセージを伝える役割を放棄してはいけない」と出版物に携わる者として、改めて。

4月7日発売の文芸誌『文藝 夏季号』にも同じ気概を感じる。文芸誌でのこのスピード感は大偉業なのではないか、と思いつつ、発売を楽しみにしている。

●緊急特集 アジアの作家は新型コロナ禍にどう向き合うのか
閻連科「厄災に向き合って文学の無力、頼りなさとやるせなさ」(谷川毅 訳)
陸秋槎「神話の終わりと忘却の始まり」(稲村文吾 訳)
イ・ラン「コロスウイルス」(斉藤真理子 訳)
呉明益「「封じ込め可能」という嘘の背後に様々な目論見が引き起こしたパンデミック」(及川茜 訳)
ウティット・ヘーマムーン「剥がれたマスク」(福冨渉 訳)
温又柔「ウイルスよりも憂鬱」


昨日、香港に住んでいる友人から、「日本は大丈夫?」というメールが届いた。メールには、朝日新聞デジタルのリンクがはられていた。

布マスクは織り目のサイズが大きいため、飛沫(ひまつ)を防ぐ効果が小さい。また繰り返し洗って使う場合、管理が悪いと雑菌がはびこる可能性があり、かえって不衛生になる可能性も挙げる。

何名かの有識者の意見もチェックしてみたが、だいたい意見は一致している。ちなみに、ウィルス対策の場合は、ガーゼとガーゼの間にキッチンペーパーなどを挟む工夫などが必要だと、NHKで専門家が語っていた。

喜劇なのか、悲劇なのか? 

先週末の外出自粛要請時は、スターチャンネルで配信されている『ウオッチメン』を一気観した。

史実、社会問題(主に人種差別)、哲学……とにかく緻密で大胆。原作を読んでいないと難解な部分もあったため、久しぶりに脳の奥が痺れた。もう、「エンタメのひとつの到達点ですね、まいりました!」とひれ伏したくなるほどの圧巻の全9話。

ロールシャッハを象ったマスクは、白人至上主義の過激派団体、「第7機兵隊」がシンボル的に着用している。彼らは少数民族や人種差別被害者を守る警察に反発し、2016年のクリスマスイブに警察官の家を襲撃、40人を殺害した。「火には火、覆面には覆面だ。」ホワイトナイト事件と呼ばれるこの惨劇を受け、警察官もマスクを被ることで自衛するようになった。

このドラマでは、敵、味方の境なくマスク(覆面)を着用している。白人至上主義のヒロイズムだったり、 自衛のためだったり、差別からの保身だったり、自分のトラウマを癒すためだったり、多重人格の獲得だったり、神が私たち人間に紛れるためだったり……などなど。この作品内で「マスクをする」という意味は多岐にわたる。

そして、アメリカ在住の映画評論家の町山さんのつぶやき。

観てない人には、ちょっとピンとこないかもしれないけれど、現実と「顔を覆う匿名性」のもつ世界の意味を問う『ウオッチメン』の境界線が曖昧になるかのような指摘にドキリ。

とはいえ、BBCの記事を読んでみると、「顔を覆うこと」というより「お手製の布マスクでもいいから、マスクをするべき⁉︎」というような論調。NYタイムズはマスク型枠を誌面に掲載。一般の人々にマスクをする習慣がなかったアメリカでは、全力で「マスク使用」を促す啓蒙に入らねばいけないということなのだろう(それにしても、新聞がこういう対応をすることは、本当に粋だな、と思う)。

とにもかくにも、全世帯に布マスクが2枚、このままであれば再来週以降に届いてしまう……らしい。このマスクが『ウォッチメン』が描く混沌の深淵への入り口となりませんように。

【追記】

ディオールのアトリエで作られているマスクが麗しい!

イタリアン・ヴォーグは、白衣へのオマージュ。

ヴィトンのガウン!


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